無意識日記々

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インタビューのTPO

ヒカルにとって今日の下着の色を訊かれるのはどういうニュアンスを含む感情があるのだろうか? 15年前、二十歳記念ストリーミング『20代はイケイケ!』の最後の最後に「今日の下着の色は真っ赤だ」とか何とか言ってた人が35歳になって言う意味は。

ストレートに解釈すれば「いきなりそんなプライベートなとこ踏み込む?」という当惑と「そんな事訊いて何がしたいの?」という疑問、だろうか。

しかし流石にそれを「歌詞は実話ですか」と同列に扱うのは無理がないか。ヒカルが「歌詞が現実か虚構かは、デリケートな問題だから」と下着色発言をしたのならわかりやすい。しかし、どうも発言からすると、どちらかといえば「価値観がズレている方に力点が置かれているような。美味しいかどうか訊いてるのに隠し味の話ばっかりしてくるような。

こういう"ミスマッチ"が起きるのは、つきあうメディアの質・種類に原因がある。なりくんが「文学(笑)」とライターさんを馬鹿にしていたが、確かになりくんのような態度のミュージシャンにどうしても取材をしたいならば、ある程度なりくんの文化的知識を予習していった方がいいインタビューになるだろう。

なりくんはそれでいいとして、ヒカルの場合は難しい。ライターさんがヒカルの好みの作家について予習をしていって(現実には付け焼き刃じゃどうにもならないだろうがそれは置くとして)インタビューが盛り上がったとして、読者はそれを喜ぶのか? 宇多田ヒカルのインタビューを読む人は皆読書家なのか?

特定の予備知識がないとちんぷんかんぷんになってしまう固有名詞の飛び交うインタビューなど、何が書いてあるのかさっぱりわからない。大概のヒカルファンは楽しめないだろう。

ここで大事になってくるのが「取材をいつどこで発表するか」だ。ヒカルの読書好きインタビューを、今回の宇多田書店に基づいて行ったりするとしたら、それなりの雑誌なり新聞なりという"媒体の選択"が必要になってくる。極例だが、なりくんの「インタビュー不要」発言に疑念を呈したのは、そこが宇多田ヒカルのオフィシャルサイトで、『初恋』プロモーションの一環だったからである。きちんと媒体とタイミングを調整していれば「相変わらず尊大だなー」で済まして終わりだった。

そういう、「時と場所を考えろ」という意味で「こんな場所で下着の色訊く?」と思ったのならわかりやすいんだがどうだかな。