無意識日記々

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そっとカットしとけばきっと

今オフィシャルサイトで連載されている対談企画、評判はどうなのだろうか? ますます心配になってきた。

そもそも3人が対等に雑談するなら対談じゃなくて鼎談だろ、という野暮なツッコミは置いておくとして。基本的な枠組み自体はいいと思う。14回に小分けして膨大なテキストを読みやすくする。それを平日毎日更新。まぁウチと同じ手法じゃん。ホールケーキをどんっ!と目の前に出されても食べられそうにないけれど1/8ピースを8つならスルスルっと食べれてしまう(若干誇張)理屈。読者に読んで貰おうという意欲が感じられて好印象。まぁ読みにくいフォントカラー&サイズでほぼ帳消しされてるけどね。ここらへんが残念。

しかし一番の問題は第2回のなりくんの発言である。「インタビューは不要」。個人の主義主張としてはその意味に異論を唱える気はないが、場所とタイミングが悪すぎる。なぜなら、この対談が連載を開始した時点でうたマガをはじめとした各媒体に通常のライターさんたちによるヒカルへのインタビューが掲載・発信されていたからだ。

まずライターさんたちに対して失礼極まりない。仕事を依頼されたのにいざそれを世に出したら不要と罵られる。罠にはめられたような気分。失礼極まりない。宇多田のインタビューをとれたのだけでも有り難いと思えよというのはファンでも思う事だから「喜べ」と尊大な態度を取られる位ならまだわからなくもない。要らないと切り捨てられるのは流石に厳しい。

ファンに対しても不誠実だろう。うたマガを喜び勇んで店頭まで取りに行ってインタビューを楽しんだ。その流れで対談を読んでみたら「あんたが時間をかけて取得して読了したあの文章、要らないヤツだから」とオフィシャルから価値を否定されては私ら一体何なんよと憤っても不思議ではない。

これが、今回『初恋』のプロモーションでは各媒体からのインタビューは一切受けません、アルバムの内容に関する言及は是非こちらの対談をご覧下さい、という枠組みを予め作ってあったのならまだよかった。対談の内容の如何は兎も角、コンセプトとして筋は通っている。たとえ対談の中身が不評だったとしても今後への糧として意義あるチャレンジだったと評価する事も出来ただろう。しかし、現実はそうではなかったのだ。

今の段階では、なりくんの評判は下がる、インタビューア不愉快、読者不愉快と誰も得をしていない。勿論、対談の発言の幾つかは興味深いものでそれはいいのだが、不愉快に思われてそもそもアクセスされなくなったら元も子もないだろう。

ひとつ注意して欲しいのは、これをなりくんの責任にするのは間違っているという事だ。彼は呼ばれて喋っただけだ。生中継でもあるまいし、不穏当な発言があったらそっとカットするのがオフィシャルの編集側の義務だろう。それを怠ってそのまま掲載したから、一部のファンから反感を買っているのだ。

覆水盆にかえらず。もうこのあと如何に対談が盛り上がろうとも今回の"失礼"はカバーできない。それとこれとは関係ないからだ。ひとりのプロのミュージシャンのオフィシャルでの発言だからなりくんに全く責任がないとも言い切れないが、結局これはヒカルとなりくんの所属レーベルRIA、SONYの問題だらう。勿論総括責任者であるヒカルの責任も免れない。どこかのタイミングでミーティングにかけて、何らかのリカバリー策を検討すべきだ。