結局、いちばん引っかかっているのは「なぜヒカルがなりくんをプロデュースしようとしたのか」に尽きる。
世界のどこかでなりくんが尊大だったり不快だったりな発言をしていたとしても、「へぇ」と言ってそっ閉じして終了だったのに、ヒカルがプロデュースするわデュエットするわ共作するわ共演するわ3週連続ラジオで喋るわもうべったり。過去こんなにヒカルと関わり合ったアーティスト居ないんじゃないの。きりやんとどっちだろうというレベル。まだそこまではいかないか。
今回の座談会企画は、『初恋』のプロモーション企画としては明らかに失敗である。アルバムの美点を称えるには幾ら時間があっても足りないのに、この喉に小骨が残ったままのような感覚のせいで集中できない。自分じゃよくわかってないけど、苛立っているんだろうな。
本来『初恋』に向けるべき集中力を奪っているのだから失敗と言う以外にない。新作のプロモーションの一環というのだから、「座談会の記録を読んでますます『初恋』を聴き込んでみたくなった」となるのが理想だと思うんだが、なってる? 個々に判断して貰いたい。
やれやれ。
ヒカルは、しかし、慧眼の持ち主だ。今のなりくんはただの「若気の至り」で、10年後15年後に立派なアーティストとしてひとりだちしている姿がみえている、というのだったら今のご執心もわからなくはない。が、それは自身の価値を過小評価している。貴方より年上の我々にとっては、貴方の作品を同時代に味わえる贅沢を1日でも増やしたい気持ちで一杯なのだ。それに水を差すのだから10年後や15年後になりくんが作る作品が例えば『初恋』以上のものでなくては説得力がない。そんなの本当に可能なのか?
それでも将来に繋ぐ事が重要だとしてより若い力に期待するというのなら、もうちょっと今のなりくんを守ったらどうなの? 今の彼の露出の仕方で彼の支援者が増えるとはなかなか思えない。勿論、自分は「分離派の夏」のプロデューサーであって小袋成彬のプロデューサーではないし、普段はただの友人だから、という態度もとれようが、えぇっと、だったらもういいんじゃない?
utadahikaru.jpに彼が出てくる必然性は、ヒカルのプロデューサーとしての一環だと認識できるからだ。それがないのであれば今はただのレーベルメイト。彼がutadahikaru.jpに現れるなら、ヒカルの新作のプロモーションにプラスであるという判断がなければならない。誰が判断したのか、そこはハッキリさせておいて欲しい。
座談会が悪質なのは、興味深い発言とほんとしょうもない発言の両方が混ざっている点だ。ゴシップ記事と同じ手法だな。真実のみでも嘘のみでもなく、真実と嘘を混ぜる事で嘘を飲み込ませる。いや、何か面白い事を発言しようとして結果よかったりダメだったりならいいんだよ。なりくんの場合、彼の哲学として、そもそも座談会の読者を楽しませる気が全くない。我々読者を無視した態度がいちばんの反感を買っていると言っていいんじゃないか。
で、先述していたように、責任をとるべきなのはこれを企画編集発表した人間だ。もうちょっと考えて欲しかった。せめて一通り『初恋』のプロモーションが終わった後ならただの3アーティストの座談会企画としてみれたのに、兎に角作品を聴き込む期間に登場させるのはマズ過ぎる内容である。まぁ来週には読者も減ってるとは思うけれど。