今日の座談会を読むと「丸ノ内サディスティック」のスタジオバージョンがうまくいってたかのように読めたりもしてしまうけど…聴いた人の判断に任せますかね。『初恋』に褒めるべき所が山ほどあるので余計な字数を割く気はない。
ついでだからバッサリいっておくと、他のミュージシャンとのコラボレーションがうまくいった場合、もっととんでもない事が起こる。何万例のうちの一つ、といった割合だろうがヒカルにはそれが相応しい。『初恋』にはそういった(敢えてこう言おう、)"ケミストリー"は見当たらない。まだまだ純粋に宇多田ヒカルの作曲能力でここまで持っていってるように私には見えている。
兎に角中毒性の強い曲が多い。特に、結果論だが、先行シングルでない楽曲の方が全体的にシンプルでキャッチーな感じがする。無自覚鼻歌&脳内エンドレスループが止まらない、ってやつね。『パクチーパクパク』は言うに及ばず、『too proud/プライド』『Good bye Good bye』などなど、シンプル故すぐに馴染んで離れないフックラインが幾つも出てくる。ただ、脳が本当の本命は『I don't wanna know』だと言ってきかない。もう少し待ってくれ。
ものっそい大ざっぱに言えば、シンプルなリフレインは洋楽的で、一方でしっかりとしたメロディーを組み立てて歌詞を乗せていくシングル曲群は歌謡曲的、という感じか。『あなた』なんかその代表例だろう。そのメロディーの組み立てからのキャッチーなリフレインが炸裂するのが『Play A Love Song』だと考えればなるほど、この曲が一曲目で正解だ。アルバムの立ち位置、軸、方向性がこれによって端的に示されるからだ。
もっと踏み込んで(焦って)言えば、宇多田ヒカル的な方法論とUTADA的な方法論が混ざり合っている感がある。曲毎に、というのもそうだし、一曲の中でもそうだ。そこにイギリスのミュージシャンたちが英国の薫りをそこかしこに運んでくるものだから、なんというかパノラマ的な色合いがいつになく強い。『パクチーの唄』が代表例で、日本の童謡的なメロディーに、昔懐かしいアダルトコンテンポラリー的なアレンジが絡みつつ、最後には如何にも英国というサックスからのトランペットという管楽器の構成。私なんか「キングクリムゾンみたいな管楽器の使い方だなぁ」と呟いてしまった。それは些か例の挙げ方としては偏っているが、どうにも英国的というのはさほど間違っていないと思われる。
これだけやっておいてアルバムの印象が散漫になっていないのは驚異的だ。普通こんなにアルバムとして纏まらない。ひとつひとつのアレンジ自体はとっちらかっていて嗚呼ヒカルがミュージシャンたちに任せた部分ってこういう部分かなと思わせるが、ボーカルラインや歌詞の世界観でヒカルが一瞬たりとも譲らないので軸が全くブレない。『Too Proud』のJevonだけは議論の余地があるが、前作のKOHHほどではないだろう。
そうなると「同じplainに居ない」とヒカルが感じて様々な加工を施していったのは一体何だったのかという疑問が湧き上がるがそれはひとまず置いておく。まだ分析してみてないのでね。
あらゆる部分で『初恋』は過渡期の作品だと感じさせられている。普通そうなると楽曲のまとめに迷いが生じられてメロディーの切れが鈍るものだが、そんな気配は全く無い。来週はもっと細かくそこら辺の切れ味について書いてみたいな、なんて。