九州の方で例を見ないほどの大雨だとか。このあとソニーストアデイズも福岡天神に詣でる。皆様どうかご無事で。
そうそう、話は前後するがそのストアデイズで周回遅れの(?)3DVR体験の方もしてきましたよ。凄い技術だね。今時の子達は(というおっさんな言い方w)ああいうのを使ってゲームしてるのか。それは没入してしまうかな。
案の定、予想通り、一通り体験を終えた後に歌の記憶がなかった。視覚体験にばかり気を取られて肝心のヒカルの歌声が心に残らなかったのだ。あらかじめそうなるだろうと思って臨んだのに、である。3DVRはつまらないからダメなのではない。非常に威力があるから危ういのである。
このたびやっと360Rを前面に押し出した事で事態が正常化した気がする。360Rを体験をした人は、歓声による没入感や歌声の残響のリアルさ、弦楽隊の伸びやかな音色、左右に広がるバックコーラスの迫力など、音の感想を沢山言うだろう。これを踏まえた上で、前回述べたように3DVRシステムの使い処を探る、というのが本来の順序だ。
目的と手段を取り違えると恐ろしい。例えば、元々は「一人でも多くの人達に音楽を届ける」事が目的で作られていたCDも、末期は握手券や投票券となって「円盤が売れればOK」みたいになっていた。中にはCDという物体に音楽のデータが含まれていると知らずに購入していた人も在ったかもしれない。そこまでいかなくても、家にCD再生機がないのにイベントの為に購入していた人なら居た事だろう。そうなる。
宇多田ヒカルは、少なくとも現時点では、音楽家である。様々な魅力を映し出してはいても、音楽がまず主役である事を片時もハズしてはならない。勿論本人については心配していない。魂を削らなければあんな歌は生まれてこない。周囲の人間が宇多田ヒカルを“利用”しようとする動きがあれば敏感に察知したい。それだけだ。
それにしても細かった。自分もラジオの公開収録やパイプラインカフェなどで随分間近にヒカルを見てきたもんだが、一人人間を生んでおいて現在こんなに華奢だったのかと。そして横を見れば実際に来ていた衣装が展示されていた。勿論、細かった。鍛えてシェイプした結果なのだろうから健康の心配はしないが、触れれば折れそうなこの感覚は、なんだろう、それはそれでヒカルに似つかわしいのかな、なんて思っちゃったよ。こういうのをファンのエゴというんだね。
本来なら3DVRはバンド全体に注目人物がいる方がいい。ギタリストの手許とかドラマーの手捌きとか、好きなタイミングで首を向けてズームできる、なんていうのが理想だ。ヒカルの場合はただ真正面のヒカルとひたすら見つめ合うだけだった。これはこれで勿論いいのだが、次回やるときはたとえばフキコさんとのダンスをフィーチャーするとかしてもいいんでないかな。今となっては、もっと色々と遊べると思いますデスよ。