無意識日記々

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ハープの発表会の体裁をした何か

月曜日は銀座ソニーストアに行っていたがその前日の日曜日は池袋でハーピストの松岡みやび先生の発表会に行っていた。

先生の発表会、という言い方をしたが本来は彼女の教える生徒の皆さんの発表会だ。22名、だったかな。ハープという楽器のイメージからなのか男女比は女性寄りだったが、まさに老若男女、お嬢ちゃんからお婆ちゃんまであらゆる世代の演奏者の皆さんが次から次へと登壇しては演奏しお辞儀をして去って行った。

去って行った、という言い方をしたが、会場のレイアウト上22名も収めれる楽屋がないのか、舞台向かって右側端の一段高い、本来なら貴賓席のような扱いの席に皆縦列に並んでいた。出番になったらすっくと立ち上がり舞台に歩み、終わったらまた席にもどる一部始終が観客席からよく見えていた。

よく見えていた、という言い方をしたが、私が勝手に観察をしていただけだ。殆どの聴衆はずっと舞台を凝視していた。だがこの舞台袖が頗る面白い。演奏前の緊張した面持ちから演奏後の憑き物の落ちたような安堵の表情まで全部丸見えなのである。もうそれだけで得難い体験であった。来年も同じ会場とは限らないしな。

しかも、22名全員が、演奏前にウグイス嬢に一言メッセージを読んで貰うのだ。嫁と娘に感謝してハープを弾くお父さんとかもうそれだけで新鮮だ。私は今回まだ会った事の無かったフォロワーさんに誘われて(?)観に行っただけなので演奏者の誰一人として素性を知らない。しかしそれだけの設えを与えられるとどうしても妄想が逞しくなってしまった。あの人やこの人はあんな人生やこんな人生を歩んできたのではなかろうか?と。

右舞台袖にはけていく時、ただ黙って座る人もいれば誰かと目線を交わす人もいる。その時総じて感じたのは、存外生徒の皆さん同士はお知り合いという訳ではなく、ただシンプルに松岡先生を慕う者同士が一堂に会したのかなという雰囲気だった。

その感覚を伴って入れ替わり立ち替わり演奏者が行き来する舞台を観ていくと、何というのだろう、次第にそれが、ただハープの演奏会を聴いているのではなく、様々な人々の人生が交錯する群像劇を観ているかのような感覚に変わっていった。コンサートというより寧ろ舞台演劇を観劇しているような。例えばホテルのロビーで何時間も人間観察をしていると本当に世の中は色々な人が居るものだなと感心するが、もしかして松岡先生は、ハープの演奏を通してそのようなものを描きたかったのではないかと思い至るようになり、発表会の終盤には、この、まだその主役の先生が一切登場していない舞台は、先生の描いた“作品”の一種なのではないかと感じ始めるに至っていたのだ。

だから22名の演奏発表を終え、いよいよ松岡先生が登場した際に彼女が生徒たちの演奏自体よりも彼らの人生に重きを置いて語った時「ああそれなりに意図的だったのか」と私は溜飲を下げたのだ。松岡先生、ぱっと見20代かと思ったが45歳と聞いて吃驚。まぁそれも含めて“ショウの構成”なのかもなと思わせる程に彼女の存在は洗練されていた。演奏も抜群だった。

だから、彼女が自身の母親の話をし始めた時にいきなり相好を崩したのには今度こそ心底驚いたのだ。最後列中央2列を宇多田ファンで占拠していたこともあり、そのいきなりの崩し方にヒカルと共通のものを感じざるを得なかった。ヒカルの圧倒的なバランス感覚がいきなり崩れるのは決まって母親の話をするときだ…というのは昔からメッセを読んでいるファンからすれば思い当たる節があると思うが、絵に描いたような「ハープを弾くお嬢さん」で超絶技巧を持ち、更に自らの生徒たちの発表会すら自らの“作品”として世に提示する事の出来る才覚溢れる人間も、母親の話となるとヒカルと同じようにこうなるのかとちょっと嬉しくなったのだ。なんだか今日はそれを書きたかった。読んでくれてありがとう。

松岡先生がどこまで自覚的に発表会のコンセプトを具現化しているかはわからない。ただひとつ言えるのは、参加者が見事にバラバラだからこそ、全員の存在を通して最終的に浮かび上がってくるのは全員を繋ぎ合わせる唯一の構成要素たる松岡みやび先生の存在そのものになるのだという点だ。故に生徒たちの発表会は松岡みやび先生の“表現”たりえる。エキセントリックだが、これは、役者や美術や衣装や編集や音楽や特殊効果といった専門職たちに自らの表現活動を促しつつそれを統合することで自らの“表現”とする映画監督の手法に近いと思った。それを“コンサート”という枠組を使って実現しようとしてるとすればなんとも独創的だな── そう、私の彼女に対する印象は一貫している。“How ambitious she is !" ─なんて松岡みやびという人は野心的なのだろう、と。みやびな見た目とは裏腹に物凄く情熱的な人だった。俄然興味が湧いてきたですよっと。