無意識日記々

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Reiwa Chaos Live Phases

ライブ・コンサートについての一般論を。

でその松岡先生のハープ演奏発表会で「いい日旅立ち」を弾いた人がいらして。これがなかなかに拙かった。ウグイス嬢(ナレーターさんね)が曲名紹介してくれなかったら私きっと何演奏してるのかわからなかった位に。そんな演奏でもキッチリこの催しの中で役割を果たしていくのだから松岡先生のコンセプトは素晴らしい。

私はその演奏を聴いて「そういえば「いい日旅立ち」、ひさしく聴いてなかったな。」と思い立ちApple Musicで聴いてみた。やはりいい曲。こうやって存在を忘れていた名曲を思い出させる切っ掛けになったという点でも、彼が舞台でハープを演奏した意義はあった。まぁ少なくとも私にとって。

ここが、最近の感覚な気がしている。極論だが、所謂完璧な演奏、ちゃんとしたテイクを聴きたかったらそれこそいつでもサブスクで聴けてしまうのだ。わざわざその場所まで足を運んで楽譜通りの演奏を聴かせて貰うことは、それ自体の価値は些かも下がっていないのだけれど、相対的に“然程面白くないこと”になりつつある気もする。

それより、生演奏は、新しい、自分では気付けなかったような出会いとか気付きとか、そういったものを提供する場としてより注目されていく、かもしれない。勿論、フリと歌詞を覚えていってみんなで合わせる楽しさなんかは変わらないんだけど、これからはそこにかなりのプラスアルファが求められるというか。

なにしろ、もう一方では3DVRと360Rの組み合わせによって「ライブ会場の興奮がおうちで楽しめる」世界がすぐそこに迫っている。いや、3DVR×360Rはそれ以上のものを提供する、と言うべきか。あの、宇多田ヒカルがまるで自分の為にだけ歌ってくれているような感覚は実際のライブ会場では味わえまい。あれはライブ以上だ。擬似だけど。

私は「ライブにはマジックがある」と思って生きていない。都会でライブにスレで油断したリスナーより田舎で一枚のライブDVDを何十回も繰り返して観た熱心な人の話の方が聞きたい。ライブがマジックを生むためには貴方自身が魔法にかからなければならない。貴方自身が魔法をかけなければならない。

その、ライブ会場でしか生まれない精神状態を如何に作るかという点を突き詰めていかないと、生演奏の魅力というのはなかなか伝わっていかないだろう。先程も言ったように、いつでもどこでもサブスクで完璧な演奏が聴けるんだから演奏自体がよくても足りないのだ。ただ「生演奏には言葉に出来ないマジックがある」と興奮気味に言われても、それを同じように共感できる人にしか響かない。まぁ今まではそれで十分だったのだけど、これからはそこについてより自覚的に明示的になっていかないといけない。有り体にいえば「胡座かいてんなよ」ってことだね。

宇多田ヒカルという人は結構その点ズルくて(笑)、彼女が舞台に出てきただけで感動して泣き崩れる人が在るという位に「生で観れたら嬉しい人」だ。暫くはそれが続くだろう。だが、そこから更に舞台を内と外から演出してもっともっと「宇多田ヒカルが生で歌うことで貴方に起こる大きな変化」それそのものの性質を見極め焦点を合わせて意図的に計画的に構成していかねばならなくなるかもしれない。それを「わざとらしさのいやらしさ」から距離をおいて作り上げていくのはかなりの至難の業だが、リスナーの体質の変化・時代の変化と共に推移と遷移をしっかり眺めつつ、その上で原点たる「ただ出てきて歌うだけ」の素晴らしさを体現してくれたらなと思っている。このたび、松岡先生にかなりの部分で演出が意図的だったというお話を伺えて「あそこまで自然に、さりげなく演出できるんだ」と非常に感銘を受けた。彼女自身はそういう風に捉えていないかもしれないが、何かとても時代精神に呼応した段階に思える。今後もっと踏み込んで考えていきたいテーマかな。

あーもう、もっと360R×3DVRの話も絡めていきたかったのに尺がなかった。来週はネトフリ英訳の続きも書きつつごちゃ混ぜになりそうね。ほなまた来週のお楽しみ。