無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

左右二匹の影絵芝居

返信しようと思ったんだけど長くなりそうなので本文で。

以下のようなコメントうただいた。どうもありがとう。

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喫煙の有無はどうでもいいけど、

いまだに、解釈できないのが荒野の狼。

これって単にかっこつけて煙草吸ってる女を嫌う曲じゃないですよね。

ガヤ「女の子なのにタバコなんかかっこつけちゃってまぁ」「男なのに自分でなにも決められないなんて近頃のは、ねぇ」

↑っていう奥さま同士の世話話みたいなのを偽物の安心って呼んでるんじゃないかと。そして「荒野の狼」はその輪には属さないと

そう考えないと、なんとも肩身(視野)の狭いただの禁煙ジェンダーソングになってしまう

たばこのくだり←ヒッキーがそれ、言う?

まずは仲間になんでも相談できる←悩みを打ち明けられる仲間がいるなんていいことじゃん。って思って曲に集中できない

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お名前が無いので文責は私ということで。

しかしこの指摘は目から鱗。自分もAメロとBメロ以降の余りの音楽的な違いに話者の視点の変更があるんではないかと色々脳内で補足しながら考えてみてたんだけど、なんとAメロ全体に鉤括弧をつけるだけでよかったのか。なるほどねー。お見事。

これでしっくり来る歌詞も増え大変ありがたい。言ってる内容じゃなく言ってる人への指摘としてBメロが機能すると。

そして恐らく、両方なのだ。ヒカルの意図したのは。どちらの立場に立つ人に対しても同意を得られる。『偽物の安心に悪者探し』がAメロで言ってる内容を差しててもいいし、言ってる人に向けてでもいい。どちらに立っても結局『私たちには関係ない』で均されてしまうのだから。

つまり『荒野の狼』もまた、『Goodbye Happiness』や『Can't Wait 'Til Christmas』のように、相反する意見を持つ人たちのどちらからも同感を得られる歌だったということか。私はかなり肝心な事を見落としていたようだ。くどいようだが、今回のこのコメントには本当に感謝である。

当時丁度佐野研二郎氏の騒動がメディアを賑わせていたのが『Fantome』の制作時期と重なっていたという個人的な推測もあり、私はそちらにばかり気を取られていたんだ。うむ、思い込みや偏見は本当に厄介だわ。まさか歌詞の読み方を狭めていたとは。大いに反省したい。


斯様に、最近のヒカルの歌詞はリスナーの心の偏り具合をこれでもかと露わにしていく。キャンクリを聴いて感想を述べれば、貴方がクリスマスに対してどういう感情をもっているかがわかってしまう。感想を述べるにはその歌が気に入る、少なくとも最低限気になる必要があるが、相反する感情を持つ人々を1曲で炙り出すにはそのどちらからも気に入られる歌でなくてはならない訳でいやはや難易度の高さは不可知レベルだ。『荒野の狼』もまた、こうやって“両側から”気に入られている至高の名曲という訳だったんだな。とても勉強に、なりました。