無意識日記々

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先週は「マツコの知らない世界」でしたね

なんの告知も無しでした。予想が外れました。面目無い。

マツコが冒頭から「こんな番組出ちゃダメ! 観てくれてるのは嬉しいけど。」と言ってたな。番組としての格とか芸能人としての格とか芸風とかいろんな見方があるだろうけど、要は場違いだって事だよね。

ヒカルが『落とし物の世界』の魅力について語る時「本来あるべき文脈から離れた存在」なことがひとつあると語っていたが、少なくともマツコ・デラックス目線で言えば「宇多田ヒカルマツコの知らない世界に出演する」という場違いなシチュエーションそのものが「落し物の世界の魅力」の体現になっていた訳だ。身をもって、自らが「落し物」のポジションになることでプレゼンを行ったヒカル。この番組で提供したヒカルの魅力がそのまま落し物の世界の魅力なのであった。

にしても、マツコ・デラックスがあんなに藤圭子好きだとは知らなかった。世代的にもマセガキだったんかな。藤圭子の話をし始めると途端にすっぴん顔になるのは驚いた。

あたしは彼のことをよく知らないので、てっきりあのメイクで素顔を隠して振舞ってるのだと思っていたが、隠してたというより、どちらかといえばあのメイクを施すことで彼はマツコ・デラックスの表情になれているのだなと気がついた。化粧にキャラクターを引っ張り出して貰ってるのね。だから、彼は常にメイクに合わせた表情をテレビで作っている、と。藤圭子について話す時彼はそのテレビ向けの相貌をすっかり忘れて「すっぴん顔」に戻ってしまっていたのだった。

マツコ・デラックスといえば発言のバランス感覚でここまで来た人だ。それにはあの体格とあのメイクによるキャラクター作りは不可欠だった。それを彼は正月三が日のゴールデンタイム特番ですっかり忘れ、編集もせずに放送した。それもまた今のテレビ業界での彼の役割なのか。

すっぴん顔の彼は、そりゃあまぁ酷かった。藤圭子に対する妄執を誰よりも彼女を知る実娘に押し付けようとし、更には「2人目は?」「次は女の子がいい」とひとんちの育児事情に口を出す始末。もう時代は令和で20年代でなんですけどと思った人も多かったろう。

しかし、これが「テレビの本音」なのだきっと。これがカットされずに放送されたという事は、「あたしもそれは宇多田ヒカルに訊きたかったんだ」という共感がある程度存在するだろうと判断された為だろう。藤圭子宇多田ヒカルという母娘二代歌姫が三代歌姫になったらいよいよこの家系は凄いぞ、と。

テレビの本音とは、ある程度にはテレビを視聴する世代の本音でもある。普段はバランス感覚を重視してフルメイクで発言しているマツコ・デラックスがすっぴん顔で本音をぶつけてきた。普段から窮屈を感じてるんだろうな。だが次の世代はそれは昔からだから慣れたものだ。ヒカルは押さず引かず対処してみせた。また次のテレビ出演もあるかもしれないが、なんだろう、きっと大丈夫そうだね。