デビュー50周年といっても井上陽水は現役で迎え、藤圭子はこの世に居ない。違う。
出来れば健在のまま迎えたかったとは誰しも思うところだが藤圭子が随分前に一線を退いていたのもまた事実で。特にヒカルを生んでからは照實さんと共にヒカルのサポートに徹していた。
23年前の今日は藤圭子with CubicU名義のシングル「冷たい月〜泣かないで〜/ゴールデンエラ」が発売された日だ。やはり名前の神通力か当時のテレビ出演の映像も残っている(藤圭子のみ、ヒカルの歌声はカラオケ音声)。出した方は往年の名歌手ということでのブッキングだったのだろうが、藤圭子側からすると「with CubicU」の部分が“本音”だったのだろうね。U3、cubic U、Cubic Uと着実にヒカルを世に送り出す計画は進められていた訳だ。
こういうのを「親心」とよんでいいのかはわからない。当のヒカルは情熱を燃やすでもなく両親に「歌ってみたら」と促されるままにスタジオで過ごしていたようだし。
こういう推移をみると情熱と環境の均衡という概念を考えてみたくなる。ヒカルは「音楽に飢える」ということが無かった。親に反対されたり校則が厳しかったりお金が無くて必要な楽器が買えなかったりといった事はなかったのではないか。生活上の他の面はともかく、スタジオ代の為に車を売り払うような親がヒカルに「音楽での不自由さ」を感じさせた事はなかったのではないだろうか。
とするとヒカルにとって音楽とは親も同然な存在であって…という話からまた次回。