無意識日記々

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あーかわ連呼歴20年余

先日の【今日は何の日】の絡みで美茶コンのインタビュー映像もチェックしていたのだが、まぁほんとヒカルさんは変わらんね。当時16歳なのだが今と言ってる事は変わらんし、何より相変わらずかわいい。5月のインスタライブでもあたし観ながら「あーかわいいあーかわいい」しか言ってなかった。感想が全く同じだ。

これは、ヒカルさんが21年間変わってない、というよりも、あたしがヒカルさんに見出してるポイントが21年間変わってない、ということなのだろう。人間なんだから新しいことも覚えるし色んな事も忘れるし、身体の特徴も日々変わっていくし、第一物腰も話し方もテンションも音楽の趣味さえも随分変わっているのはよくよく知っているのだけれど、映像を見た時に出てくる「あーかわいい」という感想は揺るぎない。あたしゃそこばっか見ている、のだな。

顔が、とか喋り方が、とか声が、とかスタイルが、とかまぁ何を指してみてもいいのだけれど、そういうパーツパーツから演繹される存在そのものに感化されているのだろうなと。だから、20年以上経ってもこうやってここでこうしている。

裏を返せば、恐らく、そうでない部分に惹かれた人たちは、ヒカルに熱心だった時期からそうでない時期への移行を経験していたりもする、のだろう。例えばわかりやすいのが音楽性で、最初期の90年代R&B風味がお気に入りだと言っていた人たちは今は興味を失っているかもしれない。或いは、若い女の子だからという理由で気に入っていた人たちはそりゃ年々離れていくだろう。こっちからすりゃ永遠に「年下の女の子」なのでずっと若いまんまなのですがそれは詭弁と言われちゃいますかね。

音楽性の変化に伴ってファンがついたり離れたりというのは寧ろヒカルからすれば歓迎すべきことで。音を聴いて判断して貰っているのなら音楽職人としては正当な評価だと受け止められるからね。ファンだからと無条件に絶賛したりアンチだからと殊更に喚かれたりというのはなかなか参考にならないからねぇ。

兎に角、ヒカルはブレない。時代ごとに少しずつ言い方が変わるのは、つまり、時代の方が変わっているからだろう。それに合わせて伝わるように工夫できるのが真骨頂なので、そうね、あたしが2020年の今1999年のインタビューを観る時には恐らく自動的に「当時の空気」をそれなりに差し引くなり付け足すなりして解釈しているのかもしれない。何しろ第一印象が総て「あーかわいい」なので、ヒカルが何歳かとか若いとか髪型や体型がどうのとかは、そこから一歩離れてみないと知覚に入らないのよね。一歩離れてみて、そういのに気を配ってやっと21年の歳月とか、当時との差異とかが見えてくる。これ、更に20年後でも同じ感想なのだろうかなぁ。なんだかそんな気がしますが、まぁそれはまた20年経った時でいいでしょう。それまで生きとくかね。