Apple Musicはだいぶ前のアップデートから歌詞追尾機能が加わって更に楽しくなった。今歌ってくれてる所の歌詞をなぞってくれるヤツね。
その歌詞の強調の仕方がなんとも英語圏ぽくて。ぐぐんとポップアップさせる感じでぐいぐいと押してくる。なんか既視感があるなと思ったらアレだ、ミュージック・ビデオのない新曲をYouTubeで放流する時に作るリリック・ビデオだこれ。
英語圏の人の作るリリック・ビデオは大抵押しが強い。色を変えたり拡大したり回転させたり。映像加工ソフトの機能が新鮮で遊んでるだけなのかもしれないが、そもそも歌詞というものへの認識が日本語圏と異なる気がする。まぁそれはさておく。
当然、ヒカルの歌でも試してみたが、歌によって効果が異なるのが面白い。
例えば、『あなた』はこの歌詞追尾機能との相性が抜群にいい。視覚的に言葉を前面に押し出してくる感じとメロディー自体の聴覚的な役割が上手い具合に符合している。
ここらへんのバランス感覚がヒカルの特異なところでな。『あなた』が発表された時私ゃ「メロディーのもたつきが『Wait & See 〜リスク』にも通じる」みたいな評を与えた記憶があるが、どちらの曲もヒカルとしては計算済みというか、メロディー自体よりもそれに載った歌詞ががっつりリスナーに届くような、そんな音運びを意図的にしていたのだなぁと、Apple Musicの歌詞追尾機能を眺めながら認識を改めた。実際、アルバム『初恋』でいちばんのヒット曲って『あなた』だしね。歌詞が心に響いたという感想がわんさと目に入ったわ。
逆に『誰にも言わない』なんかは、歌詞追尾機能のせっかちさ&拙速さを嗜めるように堂々とそこに“言葉が在る”感じがして、『あなた』とは正反対ではあるものの、これまた趣深い。『あなた』ではまさに飛び出してくる言葉が心に刺さる感じと歌詞のポップアップがシンクロするのだが、『誰にも言わない』ではただ佇む詩をこちらから迎えに行くような感じで言葉が表示されていく。これはこれで新しい経験で、いやはや音楽再生メディアの進化ってな侮れないものだな。経験の質まで変えてくるとは。それと同時に、この言葉の揺るぎない佇みぶりが、せわしく生きる現代人にとっては、立ち止まって歩み寄らないと読み取れない、少し遠い感じがするんだろうなとまた再確認させられた。
なお、このApple Musicの歌詞追尾機能にはもつひとつ嬉しい権能があって、そのポップアップする歌詞のところをタップするとトラックの該当部分まで即座に飛んでくれるのだ。これがなかなかに便利で重宝している。更に欲張らせて貰うなら、タップ先のパーマネントURLを瞬時に取得出来れば、私も #i_uta & #e_uta で活用させて貰うのにな、とも思う。何れにせよ、音だけのコンテンツで視覚刺激を補ってくれる機能は大歓迎なのだった。
あと、更に余談だが、Apple Musicはアプリをダウンロードしなくてもブラウザからアクセスできる。
有料登録してなくてもプレビューは聴けると思うので、興味のある方はアクセスしてみるとよいだろう。