無意識日記々

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深度と内容を共感に揃える技

毎年書いてる話だが、『Can't Wait 'Til Christmas』はクリスマスが好きな人にはそういう風に、クリスマスに興味が無い人にもそういう風に響くように歌詞が描かれている。ただ、それは非常に技巧的な手法が用いられていて、その感触は、何と言うかもう殆ど推理小説のミスリーディングや叙述トリック等に近い。

で、毎年書いてるこの話にひとつ仮説を付け加えたく。それはリスナーの注意深度と歌詞に持たせるメッセージ内容との関係性である。なんか言い方が難しくなったが、要はリスナーにはなんとなぁく浅く歌詞を耳にする人と、歌詞カード(今ならスマホの画面かな)をガン見しながら一字一句逃すまじと深彫りして聴く人の二種類が居て、それぞれに共感して貰えるようにそれぞれに捉えてもらってるという事だ。

『Can't Wait 'Til Christmas』の場合、『クリスマスまで』『長い冬』『白い雪』『二人きりのクリスマスイブ』などのフレーズが途切れ途切れに耳に残った人にとってこの歌はストレートなクリスマス礼賛ソングとなる。一方、歌を最初から最後まで注意深く聴く人はそれらに混じって『なんでもない日も側にいたいの』『約束事よりも今の気持ちを聞きたくて』『人はなぜ明日を追いかける?』といった文が挟み込まれている事に気が付く。気がつくも何も全部集中して耳に入れてりゃ自然とそうなるんだが。

そういう注意深度が深い人にとって『Can't Wait 'Til Christmas』というタイトルやサビの決め台詞『クリスマスまで待たせないで』は、「クリスマスが楽しみ過ぎて待ち切れない」という意味ではなく、「そんな先の事はいいから今すぐに」というどちらかといえばクリスマスを蔑ろに扱っている言葉になっているのだと捉えられるだろう。

一方、注意深度の浅い人からすればこの歌は「クリスマスが楽しみ過ぎて待ち切れない」という王道のクリスマスソングとなる。一文一語が何となく耳に入ってくるだけならね。

こういう構造の歌詞にしたというのは、つまり、この歌を軽く聴く層というのはシンプルにクリスマスを楽しみにしている人達であろうという予測が最初にはたらいていた、とみていいのだろうか?というのが今回提言したい視点である。つまり、一方で、この歌を吟味するような層は、クリスマスという行事についてもどこか懐疑的というか、少し斜に構えて素直に楽しめないヤツらなんじゃないかという見立てが成り立つのだ。嗚呼、言い方が難しい。

ヒカルが意図的にそういう狙いを持ってこの曲を書いていたとすれば、何ともコメントも難しいが、どこまでリスナーの事を見抜いて作詞しているんだろうかと少し怖くなるわね。注意深度と叙述内容の組み合わせを調整する事で、どこレイヤーのリスナーに対しても「歌詞への共感」を呼び起こせているというのなら、何だろう、奇術的というか魔術的というか、今後もその手法に翻弄されていく事になるんだろうなと身震いするぜ。嗚呼、なんて楽しみなんでしょう。次の新曲の歌詞もどうなっているのやらですわ。いつになるやら。