無意識日記々

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女であることないこと

『ヒカルパイセンに聞け!2』といえば、印象に残っているのがこのくだり。

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https://www.utadahikaru.jp/paisen2/

ぴぃさんの質問:男性画家が描いた女性のほとんどがnakedで、またそのような絵画が伝統的な美術史に則ったものであるとされていることについてどう思われますか?

ヒカルパイセンの回答:それだけ女性の裸体は美しくて神秘的であるってことなんじゃねーかな。女性もそう思うよな?俺、男の裸見てもなんとも思わないけど女の裸は美しいなと思うぜ。

(略)

いとさんの質問

パイセンにとっての gender って何ですか?

ヒカルパイセンの回答

俺にとっては、存在しないものかな。

自分の体が女であることにずっと違和感を感じながらここまで来たけど、この回答を考えてて、男の体だったとしても同じくらい違和感感じるんだろうなって思ったぜ。

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『男の裸見てもなんとも思わないけど女の裸は美しい』と言った直後に『(genderは)俺にとっては、存在しないもの』と言うこの流れよ。流し読みしてたら「どないやねん」と矛盾に疲れて少し心が重くなりそうな所だが、私としてはどちらも非常に合点がいく。

毎度言っている通り、男女とは概念だ。概念についてその美を語るのは至極自然なこと。いや寧ろ美とは概念の専売特許ですらある、と言った方が適切か。だが、個々の肉体はその美意識を投影される対象でしかないのに、その美意識をその個体固有の属性、実在であると解釈するから話が拗れるのだ。その押しつけを「違和感」と呼んでいるとすれば見通しがいい。

運動が出来る人にとってはわからない事かもしれないが、肉体って違和感そのもの。自分の思い通りに動く場面なんてそうあるものではない。自らの意図に沿って動いてくれるのであればスポーツ選手はミスなんてしないのだ(それは極論だけども)。老人になると、権力や財力はあるから周りの人は一言いえば思い通りに動いてくれるが自分の身体を動かすのはままならなかったりもする。身体性へのもどかしさって、自己と他者を区別しない。総ては外側にある。

ヒカルはそもそも「生きてることが夢のよう」と言う人だ。女だ男だと言う前に肉体が存在すること自体が違和感であり、まるで一時の借り物であるかのような感覚が強いのだろう。それに加えて、上記のように、「実体への概念の押し付け」があると、ないものをあるかのようにすることになるし、そこはちゃんとないって言おう、となる。

なので、概念として男とか女とかについて語るのはアリだし好ましくすらある。場合によっては社会の中で女としての役割みたいなものを果たす事もあるかもしれない。だがそこは、なんというか、優しいのだろうな性格が。あんまり女を振りかざし過ぎないようにはしつつも、女性としてのアイデンティティにも気を配っているのだろう。今後益々その考え方は大事になっていくんでないかな。