無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

実在する魅力を作品に込める生活

自分はどちらかというと作品と創作者を切り離して考えられる方のタイプで、作った人が殺人鬼だろうと誰だろうといい曲はいい曲だと割り切ってしまえる。

そんな人間でもやっぱり、「あの名曲を作った人がこんなこと言うのか」とガッカリした事は一度や二度ではない。曲の評価は変わらなくても、それとは別に落胆や失望はするのだ。人間だもの。を。

まぁ、誰とは言わないが、実例を幾つか思い出してみると、「最近あの人調子悪いなぁ。枯れちゃったのかな?」とふと思ってその人の一人喋りのラジオを聞いてみたら香ばしいことばかり言っていて「嗚呼やっぱり人間老いて脳が衰えると創作能力が下がってそれと共にこういう事を言い始めるんだなぁ」と悲しくなった事もあった。うむ、誰のことかは言わないけどね。若い人には特に覚えておいて欲しいのだが、年齢に関わらず耄碌し始めるとああいう事を言うようになるのよね。インターネットで飽きる程見てきましたよ、えぇ。

そういう哀しく落ち込む例の真逆がヒカルさんで。本人の言動が余りに魅力的過ぎる為、私なんか彼女のデビュー五年目くらいまで(もっとか?)は「音楽の魅力が人としての魅力に追いついていない」とまで言っていた。こんなミュージシャン他に居らんですよ。

で、これももう散々書いてきた事だが、昨年『誰にも言わない』に至ってかなり本人の魅力みたいなものを音楽で表現する事に長けてきたなと感慨深くなっていて、相も変わらず相好を崩しっぱなしである。どうしてこの人はどうにもこうなのか。ホントにもう。

これは一生を賭けた壮大な実験だな。

「人は自らの魅力を音楽に総て託すことが出来るか?」

というね。

逆ならまだわかるんだわ。人としてはいけ好かないがアイツの書く曲が素晴らしいのは認めないといけないよねみたいなのは。仕事ってそういうとこあるよね。日々のエネルギーを音楽という仕事に注ぎ込みすぎていて人として他が疎かになるとかね。日本だとクラシック畑にとても多い気がするけどこれも誰のことかは勿論書かないぜ。

ヒカルは全くその逆でねぇ。そんな本人が11年前に『マネージャーなしでは何も出来ないおばさんになりたくなかった』と言って人間活動に入ったのは皮肉というかなんと言うか。本人からしたら音楽活動に没頭する余り人としての成長が歪になってしまったという感じだったんだろうが、それだけ才能あって人としてもちゃんと振る舞えたらもうあなたそれ手の付けられないどころの話じゃなくなっちゃうのです、よ?

……何の話だっけ。そうそう、今後も、ヒカルは、自らの魅力を音楽で表現するという事を意識出来れば、意識しなくても実践出来れば、まだまだまだまだ成長していくだろうからそれが楽しみでならないなぁと、そういう話だね。ヒカルだっていつかは老いるだろうし、もう今だって「寄る年波には勝てない」と呟く場面があったりもするのかもしれないが、なんというか、やるべきこと、やれることが明白だってのは大きいやね。目標は、新曲を聴かせた時にダヌくんに「なんだかお母さんみたいな歌だね」って言わせる事だな。そこまで行ったら、もう、凄いぜ……(語彙が無い領域だわ)。