「ビートルズで嫌いな曲ある?」という質問を耳にしてまずすぐに思いついたのは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」だった。アルバムまるごとですね。
音楽的に嫌いなのではない。単に世間の評価が高すぎるのが気に食わないのだ。いろんな「20世紀のロックアルバム人気投票」で散々1位に輝き続けている同作。だが「ビートルズには他にも沢山いいアルバムあるやん?」とついつい思ってしまうのだった。まぁそれは曲やアルバムが嫌いというよりそれにまつわる世間の風潮に嫌気が差してるという感じかな。
そんな私だが、ここで困るのが世間の宇多田ヒカルへの評価に対する態度だ。同業者からはまさに100パーセントリスペクトされ、リスナーもその大半が威光に平伏している。ぶっちゃけ、「ロンリーハーツクラブバンド」ほどではないにせよ、宇多田ヒカルのどこがいいの?とか言ったら周りみんなから「わかってないなぁ」と白い目で見られる重圧がもう存在してる気がするのよ。
2021年は更にその重圧が強化された年だったように思う。去年では「クォリティは確かに高いけど昔ほどは売れてないよね」と負け惜しみも言えなくはなかった。だが今年『One Last Kiss』が大ヒットしたことでその負け惜しみすら言えなくなった。ダメ押しが『君に夢中』で、多分今年を代表する名作ドラマとなった「最愛」の主題歌として更なる高い認知度と評価を上積みした。アニメファンとドラマファン、映画鑑賞者とテレビ視聴者それぞれを魅了してしまったのだからもうホントに隙がなくなってしまったのではなかろうか。
ここまでくるとザ・ビートルズの「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」並みに「高く評価しないとわかってないやつと思われる重圧」が過剰になってしまうのか?? 自分はそうなった時にどう反応したものやら。やっぱりヒカルの曲がいいと言われたら嬉しいし、歌が上手いと言われると「わかってるねぇ」とニヤニヤしてしまう。しかしそれは、私が嫌っている「ロンリーハーツクラブバンドを評価して悦に入ってる人たち」とほぼ同じなんじゃないかと。どこがどう違うのかと。
所変わればと開き直ってしまってもいいけれど、やっぱりこれからもヒカルの評価は曲毎にしていってほしい。私にヒカルの気持ちを代弁する資格はないけれど、本人もそう思ってるんじゃないだろうかとやっぱり考えるのだった。少なくとも、こうやって育てた威光が誰かを苦しめる事が無いよう願うばかりでありますわ。