無意識日記々

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lost connection with their voice

今一度LSAS2022メイキングのヒカルによる例の発言を引こう。(今後も何度も引用することになるとは思うが)

『For many years I've been, I've had issues with my voice. and I felt like there was somthing I lost like some kind of control or connection with my voice.』

日本語字幕:

「何年も前から、声のことで悩んでました。

思うようにコントロールできず、心と声のつながりが切れてしまった気がして。」

ここで私が強調したいのは、失ったのがコントロール/controlだけでなく、コネクション/connectionもだという点である。

声がうまく制御出来なくなる症状はよくある。スポーツ選手同様、歌手にもイップスが散見される。それを「繋がりを失う」と表現することも、あるかもしれない。

しかし私はここに引っ掛かる。ヒカルによる、コネクション/繋がりという言葉の使い方に。

毎度ながらここからは妄想になる。ヒカルにとって自分の歌声とは、お母さんと自分を最もよく繋ぐファクターなのではないかと。デビュー当時、ヒカルの少しざらついて愁いを帯びた「楽しい歌を歌ってさえもどこか陰を感じさせる」歌声に、多くの人々が藤圭子の血統をみた。

ヒカル自身も、ルックスに関しては「ママはあんなに美人なのに私はどうして」と感じていたようだし(こちらからすればてんで的外れなのだが少女の悩みは切実なのだ)、自分に対する自信というのは、その母に似た歌声を披露すると母が絶賛してくれた事が原点になっているように思われる。大きくなったら歌手になりたいですと絵を描いたのも、母への憧れと同化(と言うのかは正直わからないが)への希求からだったのかなと。

そんなヒカルにとって、声を失うというのは、ただシンガーとしてやっていけなくなるだけではなくて、お母さんとの繋がりを断たれる、そんな不安を齎す事象だったのかもしれない。それ故に、声が出ないとかうまくコントロールできないことを“lose connection”だと表現したのではないか。

それはもしかしたら、息子を育てながら働く中で、その多忙によって日々母を喪った悲しみが和らいでいくのを感じると共に現れてきた事象だった可能性がある。最近漸く母の写真が飾れるようになってきた、と言っていた。それを聞くとこちらからしたらまだまだ全く悲しみは絶えないのだなと解釈するところを、ヒカルからしたらそこに何らかの罪悪感を感じていたのかもしれない。偶然にもそのタイミングで声のコントロールを失う時期がやってきたら………それはそれはゾッとすると思う。私の中のお母さんのヴィジョンが薄れると共に歌声の繋がりも薄れていくのか、という所に思考が行き着いてしまったらもうダメだろう。

それらは周りからみれば単なる思い過ごしだ。しかし、『道』で力強く『私の心の中にあなたがいる』と歌い『You are every song』と音楽活動の総てを母に繋げ捧げてきたヒカルからすれば、歌うことが断たれる事は母との繋がりが断たれる事でありアイデンティティクライシスそのものだ。そう思うと、今現在よくぞ回復してくれているなと泣きたくなってくるよ。