無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

何故生演奏と打込の融合になったのか

『BADモード』がまだまだオリコンデイリーで1位を獲っていて連日

@hikki_staffがツイートしてるな。いやまぁ売れてるんだねぇ。アルバム自体の好評が売上を後押ししているのか。

しかしこれで一通りアルバム評が出揃った感じがするな。流石にリスナーもずっと宇多田ヒカルだけを聴いてるわけでもなかろ。こちらは逆にこれからじっくり聴き込んでいく事になるが。

アルバムの作風の流れについての指摘として、「前々作『Fantôme』、前作『初恋』のサウンドに較べてエレクトロニカサウンドが増量されている」というものが目立っていたように思う。自分も同感だ。『Fantôme』と『初恋』では、人力によるオーガニックな音作りが目立ち、ヒカルのトレードマークともいえる打ち込みサウンドは少なめだった。演奏の録音のみならず、曲作りの過程でも他人の力を大きく借りたというのはテレビで放送された『夕凪』の制作風景で皆も知るところだろう。

現象面の説明としてはそれで必要十分だが、しかし、「なぜそうなったか」の説明が見当たらなかった気がする。ここではそれを試みてみよう。

『Fantôme』と『初恋』で他人の生演奏を大きく採用したことで、そのサウンドにはヒトの身体感覚とでもいうべき要素が宿っていたように思う。単純にいえば、身体を動かしたくなるような。『Forevermore』でヒカルがコンテンポラリーダンスを披露したのも、同曲には身体的なフィーリング、いつにないグルーヴが楽曲全体に貫かれていたからだろう。

しかし一方で、それらは他者から提供して貰ったもので、ヒカル自身が出したグルーヴとは言い難かった。単純に、『Fantôme』『初恋』ではダンサブルな曲が少なく、昔に較べて全体的に落ち着いた曲調になったというのが大雑把な評価だったように思われる。上記の『Forevermore』は寧ろそんな中では例外的というか非主流的な楽曲だった。

しかし、そうやってバンドメンバーたちの創り出すグルーヴに、今度はヒカルが感化されたのではないだろうか。つまり、自分ももっと自身の身体感覚を伴ったトラックを創りたい、と。

そうなった時に、ここがポイントなのだが、ヒカルが自らの身体的な感覚を音楽にする際に用いるツールがマッキントッシュなのだ。いやこの言い方久々に使ったな。パソコンのMacですね。

実際のバンドのグルーヴは、特にベースのジョディによるインプットが大きい。『One Last Kiss』でA.G.Cookがベーストラックを入れ忘れ急遽ジョディがベースを弾いて録音したそのパートがかなりの好評を得ていた訳だが、一方で、ヒカルは自身のグルーヴを捻り出すのにピアノやギターを使う訳ではなく(どっちも弾けるんだけどね)、パソコンでリズムループを打ち込む所から始めるのだ。そのリズムがどんなものであるかは、いつも言っているが、『EXODUS』収録の『Crossover Interlude』と『Opening』を聴き較べてみるといい。両方とも同じ歌詞同じメロディだが、トラックメイキングが、前者はヒカル(当時はUtada名義)、後者はPete Davisである。前者にあって後者にないリズムがヒカルの“個性”なのだ。

つまり、アルバム『BADモード』のオーガニックとエレクトロニカの融合したサウンドは、ヒカルとバンドメンバーがそれぞれにグルーヴを持ち寄った結果なのではないかというのが私の見立てである。彼らが生楽器でヒカルが打ち込みという非対称性の所為で少しわかりにくくなっているが、実際にはみんなで身体感覚を持ち寄ったという結構シンプルな話だったのではないだろうか。ヒカルの“第一の楽器”はまず自身の歌声だろうが、そのすぐ次にはこの“打ち込みのリズムループ”が控えているというのは、覚えておいていいかもしれない。