無意識日記々

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桜の樹の下には

ヒカルの『最近ウクライナ侵攻のニュースばかり追ってて日本のニュースチェックしてなかった』ってツイートがずっと気になっててね。ニュースって日常の中でどんな位置付けなんだろうかという。

ヒカルの歌詞の中には、テレビも新聞も出てくる。秋のドラマ再放送だったり深夜放送テレビが青い目で見てたり戦争を始める放送だったり新聞なんか要らなかったり様々だが、そういう距離感というのは日常の中でどんな位置を占めるのか。

一般的には、テレビを観てても対岸の火事を遠くに望む場合と自分ごとの一部としてみるものとの両方ある。同じ宇宙開発でも意味の分からない高度な科学実験の話はふーんという感じだけど新しい放送衛星が動き出したとなると観られるチャンネルが増えたりして急に今の自分の部屋にまで影響が出てくる。エチオピアケニアで干ばつが厳しいというニュースより、今週末にまとめて報じられるだろう日本国内での食料品の数十円の値上げのニュースの方がここでは人々の関心を引くだろう。ニュースのバランスというのは周りからみると滑稽だったり残酷だったりするものだ。

例えば『桜流し』の強烈さは、東日本大震災の体験無くしてはなかったのではないか。実際に揺れを体験し、その後の寄付や現地での復興活動への従事などを通してヒカルが体感した事が歌詞に反映されているとみるのが…なんだろうな、素直な見方?(ちょっと違うかな)になるのではないか。

翻って、今年のロシアウクライナ侵攻のニュースをどう受け止めるかは人によって異なるだろう。ウクライナは遠い国だと感じる人も居れば、ロシアは日本の隣国で国境を接しているのだから他人事ではないと捉えてる人も居るだろう。これもまた様々だ。

一点、即ち、そんなニュースばかり観てるヒカルのこれからの歌詞に戦争はどんな影響を与えるのか。気になるのはそこである。メタラーやってるとアルバム丸ごとテーマが戦争というケースに出会すのも珍しくないので(ちょうど先月もサバトンの新譜がそうだった)、歌詞のテーマに取り上げてくれるのは特に抵抗はないのだが、Jpopシンガー宇多田ヒカルとしてはどうなのか。一方で『BADモード』によって日本語と英語の垣根が取り払われたのだから、英語でなら歌うなんて可能性も出てくるかもしれない。ロンドンに住んでいて、どんな肌感覚でニュースを見ているのかをもうちょっと知りたいところなのだけど今何かそれについて事細かにヒカルが呟いたら大体炎上だろうからそこは期待しないでおくのがこちらとしては得策かな。