無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

月曜朝から細かい英語の話ってお前

性別・言語・人種のうち今日は人種の話から。

コーチェラ・ライブレポ・インタビューの英文の方で、鍵となる1文は、

"I’ve always just felt like a human being. I just always wished it was simpler. Like just that we could have just like, not think about that so much,” they shared. “But it is an important part of our identity and in some ways I kind of missed out on building my identity as an Asian person. "

https://www.billboard.com/music/music-news/hikaru-utada-coachella-interview-1235063847/

の部分の中程辺り、

"But it is an important part of our identity"

の1文だと思う。

そこまでの流れは、ヒカルがインターに通っていたことで人種に悩まずに済んでいてそれで何も問題なかった、だからもっとシンプルでいいのにと願い(wish)を口にした、というものだったのだが、その次のこの文を、

「でもそれは私たちのアイデンティティの重要な部分なのです」

と訳すならば、ここのうち「それ(it)」と「私たちの(our)」が何を指すのかで、今回のインタビュー全体の解釈が変わってくる。極めてキーとなる1文だ。

英語の原文であるとはいえ、そもそも編集されているものだという点は強調しておかなければならない。これの執筆者の方の視点はどうしても入る。故にこれは推測交じりにしか語れない。

「それ(it)」に関しては、「人種」を宛てるのが適切だろうか。そして、「私たちの(our)」は、文脈上「インターナショナルスクールに通っていた生徒たち」になるべきところだが、ヒカルのコメントが編集されているとすると「アジア人/アジア系」である可能性が浮上する。実際、次の文章が、

in some ways I kind of missed out on building my identity as an Asian person.

即ち

「ある点においては、私は、アジア人としての私のアイデンティティーを構築し損ねていたみたいなものなんです。」

という内容だからだ。こちらを重視すれば「私たちの(our)」は「アジア人の」なのかもしれない。

いずれにせよ、この段落の構成が、

・私はただの人類

・もっとシンプルでいいのに

・それで何の問題もなかった

とヒカル自身として結論(wishの部分)が出ているのに、

・人種は私たちにとって重要

・私はアジア人としてのアイデンティティーを築き損ねてた

というどちらかというと逆行というか、「今その話は要らないって言ったとこだよね?」な話題に移るのが、読んでいて奇妙だった。ただ、いずれにせよ、「私たちの(our)」であって、「私の(my)」ではなかった所には注目している。そこがインターナショナルスクールの生徒の話であれ、当日コーチェラで関わったアジア系の人たちのことであれ、ここは一般論であって、その視点からみたときにヒカルは自分のアジアンとしてのアイデンティティー構築が足りていなかったと語っているのは間違いないのではないか。

つまり、この英文がヒカルの言葉をそのまま伝えているとすれば、一般論からみたアジアン・アイデンティティーの話をしているのであって、ヒカル個人としては“I just always wished it was simpler.”、「いつも、もっとシンプルだったらいいのにと願ってきた」という立ち位置に変化は無いんじゃないかなというのが、今の私の見立てになる。そこの所の話からまた次回。