ヒカルの『雨』は、前回も書いたように試練の雨、苦難の雨としての側面を強調したものが目につくが、一方で「癒しの雨」、「恵みの雨」として描かれるケースもある。例えば『Never Let Go』の
『悲しみは優しい雨に任せて』
などは「癒しの雨」の最たる例だろう。悲しみを雨が優しく洗い流してくれるイメージ。もうこの一節だけで詩人としてのヒカルの資質の際立ちが窺える。これを20年近く経ってから想起させたのが『初恋』の
『優しく肩を打つ雨が今』
の一節だ。同じ優しさでも、今度は洗い流すというより、勇気づけてくれる、背中を押してくれるような、励ましの雨とでも言えばいいかな。癒しと恵み、両方の含意があるかなと思われる。そして恵みの雨というなら『はやとちり』の
『カラカラになった太陽は 毎日雨を望んでいるのかも』
の一節がわかりやすいわね。ただし、続く
『そう考えれば降られた気分だって
悪くはないんじゃないかな』
というエクスキューズを聴くと、やはりヒカルの中では大前提として雨は苦難や試練としての側面が強かったんじゃないかなと思わされる。
何より、オールドファンにとっては「雨」にまつわるヒカルの言葉ってのは『Message from Hikki』での
『
”The nice thing about rain,” said Eeyore,”is that it always stops. Eventually.”
(「雨のいいところは、必ず止む、ってこと。そのうちね。」−Eeyore)
』
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_115.html
の引用が印象深い。これが頭に残っていたから『真夏の通り雨』で『降り止まぬ』と歌われた時に衝撃が走ったのだ。あなた「必ず止む」って言ってたじゃん、ってね。
『Never Let Go』や『はやとちり』は、初期の宇多田ヒカルにとっては「メインではない曲」だった。皆が注目する『Automatic』や『Wait & See ~リスク』といった曲の陰に隠れてたというか。実際『はやとちり』はカップリング曲だったしね。その為、ヒカルの中でもその作詞はカウンター的というか、いつもとは異なる角度からの視点を盛り込もうという意識があったのかもしれない。
それを踏まえると、そこから20年近く経ってからアルバムのタイトルトラックというメインど真ん中な楽曲である『初恋』に於いて「優しい雨」について歌ったのは結構大きな変化であったようにも思われる。それもこれも、必ず止むと思っていた雨が永遠に降り止まない事もあると知った事が大きかったのではないだろうか。絶対は無い。悲しみの深さにも限界は無いのだ、と。その為、辛苦の雨にも優しさを、優しい雨にも悲しさを見出すようになったのかもしれない。悲苦が有限ならいつか優しさが表れる。しかし、悲しみに終わりが無いのなら、雨には最初から優しさが伴っていなといけないから…。
うむ、次から歌われるヒカルの歌の中の「雨」がどのように描かれていくのか、どこまでも興味は尽きないわね。