無意識日記々

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4曲目5曲目6曲目4年4曲目5曲目6曲目

前回見たように『日曜の朝』では

『幸せとか不幸だとか 基本的に間違ったコンセプト』

という一節が歌われている。一方『Making Love』では

『誰よりも幸せであってほしい』

という、全くそれとは相容れなそうな一節が伸び伸びと力強く歌われている。「さっきの何だったの!?」とツッコみたくなること請け合いのこの流れ。そうなのだ、この2曲、アルバム『ULTRA BLUE』では4曲目と5曲目でバッチリ繋がって収録されているのですよ。幸せとか間違ってる、と言ったそばから親友に対して『幸せであって欲しい!』ってまさに舌の根も乾かぬうちに何だお前ってヤツですわ。

更にこのアルバム、続く6曲目が『誰かの願いが叶うころ』で、これまた前回見たとおり

『あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ』

という幸せに関する一節がしっかりとフィーチャーされている。なんだったら更に

『自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ』

という2番のサビもあるわよね。

恐らくこの3曲の曲順、意図的なんじゃないかと思うのだ。私は勝手に「幸せ3部作」と呼んでいるが、そもそもこの頃の曲順はヒカルが決めたものじゃない。明言されている訳ではないが、毎度作詞作編曲歌入れを終えて燃え尽きたヒカルを尻目に三宅P照實P沖田Dのお三方が合議で曲順を決めていたようだ。今はヒカルが先導してるようだが。昔はね。

で。この頃の曲順といえば、この『ULTRA BLUE』の(宇多田ヒカル名義のオリジナルアルバムとしては)1作前の『DEEP RIVER』アルバムでも、丁度同じ場所、4曲目5曲目6曲目である『Deep River』『Letters』『プレイ・ボール』に於いて「ギターのイントロを揃える(それぞれ微妙に異なる)」という仕掛けをしてきた事が記憶に新しい…って21年前の作品に対してこの表現は使わないか…あのアルバムは今聴いても物凄くリアルなので昔がどうとか思わないのよね…流石に『BADモード』と並べて聴いたら「成長したねぇ」って言いたくなるけど…って話が逸れたな、うむ、そんな風にアルバムの曲順を決めてた節があるのですよ当時は。だから『ULTRA BLUE』でも同じく4曲目5曲目6曲目で、今度は歌詞の繋がりで曲順を決めてきてても不思議じゃないと思うのです。それぞれに全く異なる「幸せ観」が歌われる3曲を並べてくるっていうね。

そしてこの「宇多田ヒカルの幸福観の多義性」こそが、これから『Gold ~また逢う日まで~』の歌詞を繙いていくときの鍵になっていくと思うのだな。そしてそれは恐らく、幸せになる主体によって変わってくるのだと思うのです。

『間違ったコンセプト』と歌う日曜の朝』では、幸せになる人は誰とか決まっていない。つまりこれは、誰にでも当て嵌まる「一般論」として言っている。であるならば、幸せとか不幸せは、一般論で論じるのはコンセプトとして間違っている、と歌っていることになりはしないだろうか?

他方、次の『Making Love』で『誰よりも幸せであって欲しい』とヒカルさんが願う相手は実在する親友さんだ。具体的に「この人!」というのがビシッと決まっているのだ。そうなると、その人が幸せであることを願う/祈ることに何の躊躇も要らない。ここで『幸せ』という言葉を使うことは何も間違った事じゃないのだヒカルにとっては。

ではそれなら歌の歌詞では王道である「あなた」と「私」の「幸せ」ってなるとどうなのだろう?という対比を描いて見せたのが更に次曲の『誰かの願いが叶うころ』になるのだがその話はちょい尺が要るのでまた稿を改めて。