無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

outfit、外に添う。

前回は言葉の危うさの話に終始したので中身の話もする。ヒカルのInstagramのコメントを再掲しよう。

『『@kuma_power :

早朝の駐車場で、幼い頃憧れてた風景に遭遇した。アンデス山脈に住む少数民族の少女の物語の色鮮やかな表紙と、その本を見えるところにずっと飾ってた8歳の自分が突然現れて、足元にワームホールが開いたみたいだった。

オイルの跡も、その写真を撮る私も、存在するってこういうことなのかなとか考えながら、今日着る服を選んだ。』

もうこれだけで掌編小説が一編完成している。人は突然存在と出会す。脈絡も身も蓋もない。「徐々にそうなる」のではなく、ある一瞬に捉えたと思ったら次の一瞬には消えている。それを一瞬にしなかったら作品だ。

こんな一枚もあった。

https://www.instagram.com/p/sv4BLzLqsP/

何度か触れてるからリンク踏まなくてもわかる人も居るかも? 「窓際のケチャップ」よね。ヒカル自身が『この状態で発見。やだ、素敵…』と言っているように、自分で置いたとかじゃない。見たらこうだったというだけである。

もっと言えば、徐々にそうなって辿り着いてもいいし、自分で置いてもいいんだよ。そんな人間がやったやらない意図した意図してないなんか関係無い。「私」の心が感覚がそれに触れたらそれが存在なのだ。関係無いと言っても人は欲するので頑張るし、間違いなくそうすることで会えがちになるけども。

そりゃまぁ「春と修羅」を好きになるはずだわねヒカルさん。(唐突)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html

いつか歌うか朗読するかしそう。

唐突から話を戻して。インスタ最後の

『存在するってこういうことなのかなとか考えながら、今日着る服を選んだ。』

の部分はこの日本語のままでもぐっとくるけれど英語だと意味がわかりやすくたる。その分、野暮になるとも言えるけども。

『as I picked my outfit for the day.』

"outfit"ですよ。着る服のことをこう称してる。outは「外」、fitは「合う」とか「沿う/添う」とか。つまり、「外の世界に合わせる」という意味での「身支度」なのよねここで服を選ぶっていうのは。また、fitの名詞形fitnessはフィットネス、健康だとか体調が良いとかいう意味もある。転じて「生物が外の環境に適応する」という意味まで含まれる。「生きて存在する」ことそのものなんですよ、えぇ。outfitは。生き方を選んでいると言っていい。

勿論そのoutfitを「pick」するのもいい。いや別に至って普通の言い回しなんだけどね「選ぶ」っていう時の。でも「落ちてるモノを拾う」時にも「pick」を使うから(ピックアップとかね)、落とし物を拾い続けて十余年(もっとなのかな?)のヒカルさんらしいやね。

人は生きる中で数の中に囚われがちだ。10kmより20kmの方が2倍遠いし、歩いて行くなら必ずその間に11km地点や12km地点、19.9999...km地点を通らねばならない。だが、「存在に触れる」ときはそうじゃない。いきなり訪れ、瞬いたらもう無い。数の外に合えればそうなれる。でも、なかなかに難しい。ヒカルは今回その貴重な瞬間をシェアしてくれた。感謝してもし切れない。日常の中で私はついつい自分の存在を忘れてしまうけど、こういう出会いに出会せたら思い出せる。普段の気づかない私たちは、ただ忘れているだけなのかもしれないわよね?