無意識日記々

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新しい比喩は新しいドレスみたいなものでして。

もうひとつの傍線部はこちら。

── The canvas is a court, where the art is a prosecuter, defendunt, jury, and judge.

「── キャンバスは法廷であり、芸術は検察官、被告、陪審、裁判官です。」

これだけだと何のこっちゃだわねぇ。ということで少し噛み砕いてみますか。

この本のタイトルは邦訳すると「見たいものを描く」なのだけど、恐らくヒカルさんはこのタイトルを目にした時点で中に何が書いてあるかもう大体わかっていたのだと思われる。つまり、知らないことを知りたいというよりは、共感できる感性がそこにありそうだから読んでみようと。漫画を買うときの動機が「今アニメ化されて話題になってる作品の先を知りたい」よりかは「絵柄が自分好みだから買ってみよう」の方に近い感じ?(これで通じるかなぁ?)

なのでこの本を読んでる時に何が楽しいかって、あるあるネタなのだ。「わかる~」「それな」「定期。」とか言いながら読むヤツ。前回の傍線部がまさにヒカルにとって「それな」な一文だった。

そういうのを読む時って「既に自分にわかってること/馴染み深いこと」が沢山書いてあるので新しいことはあんまり身につかない?と思いがちだが然に非ず。馴染みのある概念に対する「新しい言語化」ってぇのが肝になってくるのですよ、えぇ。それによって馴染みのある概念に新しい側面が現れてくる。長年連れ添った奥さんに今まで着せたことの無いドレスをプレゼントして着せてみたら今まで見たことのない表情をしてくれた、みたいな新しい感動があるんですよ、えぇ。

なのでこの、

「── キャンバスは法廷であり、芸術は検察官、被告、陪審、裁判官です。」

っていう一文も、ヒカルにとっては馴染みのある考え方に新しい光が当たったように感じられたのだと思われるのです。厳つい役職名をそれぞれ役割毎に、少し砕けた言い方で言い換えてみましょう。

「(これから絵がアートとして描かれる)真っ白なキャンバスは、法廷だ。そこで「絵を描く」ことの役割とは、それぞれ、

・否定的にものを見る事(検察)

・肯定的にものを見る事(被告)

・そのどちらが妥当なのかを相談する事(陪審

・そしてその相談に基づいて正否の判断を下す事(裁判官)

という4つ、それら総てなのだ。」

という風になる。更に砕けていうと

「絵を描く時って、

ここは青がいいな!(検察)

いや赤がいいかも?(被告)

どっちだと思う?(陪審

よしここは赤で塗ろう!(裁判官)

みたいなことの繰り返しじゃん?」

てことね。

これ、宇多田ヒカルというシンガー/ソングライター/プロデューサーにとってはもう自分の仕事そのもので。

「『光』のサビメロって

・英語版と同じく低い音から入る方がいい?

・いや、高い音から行った方がいいんじゃない?

・どっちがいいかな~?

・よし、高い音から入ろう! 日本語版独自にしよう!」

っていうね。相反するアイデアを突きつけ合って、検討して、最終的にどっちかを選ぶっていう、そういうプロセス。

これがつまり、検察/被告/陪審/裁判官、の役割なのだわ。プロデューサーとして、ソングライターとして、そしてシンガーとして、局面局面で悩んで較べて判断して決断して、そうしてアートという営みは進んでいく、っていうまさにヒカルさんの(仕事の上での)日常そのもの。

これ、結局の所前回取り上げたひとつめの傍線部、

── “Decisions to settle anywhere are intolerable.”

「決めちゃうのって辛いよね」

と似たようなことを言ってるのね。アートという営みは、こういう痛みを伴う決断の連続なんだって。

なので、傍線部2つは内容的には似たようなことを言ってるのだけど、今回取り上げた後者は、

「具体的な比喩として“法廷”を使った」

ところが新しい…というか新鮮だなと。あたしもこういう切り口、こういう概念には馴染みはあるが、それを法廷の比喩で表現したのは初めて見たかも。そして、新しい比喩は新しい気づきをもたらしてくれる。新しいドレスを着た奥さんを見て、だったらパーティーに連れて行こうか!だなんていう風に、今の今まで考えたこともなかった出掛け先を思い浮かべるようになるのよ! だから新しい比喩はアタマに確り残そうってんで傍線引っ張りたくなるんです…

…っていうのが、私なりの「ヒカルが傍線を引いた理由」の解釈なのでした。ヒカルさんの本当の真意に幾らか近いと嬉しいのだけど!