無意識日記々

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星になるのは億年早いが

太陽も恒星のひとつなのでそれを星と呼ぶのは間違いではない。一方で「星になる」という表現は「人が死ぬ」事を意味するだろう。そこに元々母の事を太陽で比喩し続けてきた歴史があるから、「太陽が天翔る星になった」と歌われれば嗚呼それは母君が亡くなられたのだなと解釈する事になる。それが『大空で抱きしめて』だった。

デビュー曲の『time will tellからして『太陽だって手で掴めるぐらい近くに感じられる』と歌っている。初めて日本語で書いた曲『Never Let Go』には『太陽に目が眩んでもその手を離さないで』という歌詞が出てくる。もう最初からヒカルの歌詞のモチーフには『太陽』が出てきていたのだ。

Eclipse(Interlude)』という曲もあった。「蝕」である。日食や月食の。インスト曲の為当然歌詞がない。つまり、太陽が見えなくなると歌も失われるという比喩だったのかもしれない。ヒカルが歌う理由が太陽にあったのだとしたら、だが。

幾らでも穿てるし幾らでもこじつけられる。しかし、『サングラス』などもそうだが、太陽、空、雨を歌った歌が普通より多いんじゃないかという印象は確かにある。

ではこれからのヒカルは、もう自らが新しい太陽になる以外ないと思うのだが如何か。いや既に我々にとっては太陽そのものになっているんだが、本人の自覚は薄い。未だに(と言っても『大空で抱きしめて』からもう一年近く経つんだが)太陽を追い掛けて、星に祈っている。

勿論、いい加減にしろとかそんな事は毛頭思わん。本人からすれば母君は「決して追いつけない背中」と「決して超えられない壁」で出来ているのだろうから。それを責める訳もなく、その遠い背中を追ってるうちに自らが光を発し皆を照らすようになってくれればいい。実際、ダヌパにとっちゃ太陽そのものだろうしな。