無意識日記々

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2024年最初は私からのメッセージ(需要は知らん)

2024年、日本語圏はかなり陰鬱な幕開けになってるな。地震津波や飛行機事故、更に火事に通り魔にと、ニュースを見る習慣のある方はまずは自らのメンタルケアを優先して欲しいところです。

昨日の【今日は何の日宇多田ヒカル】では20年前のメッセを引用してきた。

https://twitter.com/hikkicom/status/1742483438832398366

日本語の方は穏やかなものだが、英語の方ではハッキリと『but a lot of places in the world are in fact at war. 』と書いている。「しかし、世界の多くの場所では実際に戦争が起きています。」という意味だ。この20年前の言葉がそのまま今の2024年にも当て嵌まる。報道されているだけでも、ウクライナ侵攻やガザ地区問題などに解決の気配はみられない。ニュースに触れる度に暗澹たる気分に曝される。

しかし、だからといって、折角こうやって平和に暮らしている我々が塞ぎ込むのは違うのだ。今大変な目に遭っている方々が、じゃあどんな風に1日を過ごしたいかといえば、平和な中でやりたいこと、楽しいことや嬉しいことや望ましいことをして過ごしたいと願っているに違いないのだ。中には戦争をしたがる人も居るかもしれないが、そんな人たちは目下活き活きと日々を過ごしてらっしゃるだろうからまぁ…。

そうなのよ、世界平和って、目標じゃないんですよ。我々ほぼ全員が(上記の戦争したがってる人たちを除いて、だね)よい1日を過ごす為に必要な最小限の条件のひとつに過ぎなくて。それをまず確立する事が恐ろしく難しい事に変わりは無いんだけど、じゃあそれを目指して達成してハイ終了じゃなく、本来はそこから何をするかでひとりひとりの人生が始まる筈で。

今回被災などしていない人々の多くが、そうやって望まれる平和な1日を過ごすことが叶う状況に現在居るのならばそれを享受せずして何とする、ってことなんですよ。えぐい言い方になるけれど、そんな風な日常を過ごしてるのを見せつけることでいろんな人に「自分もあんな風に楽しく1日を過ごしたい」と思って貰うことが、明日への今日の原動力のひとつになるかもしれないから。最早それが妬みや恨みの感情でもいいんだわさ。復興への、平和への力になるのなら。『日曜の朝』で歌ってる通りなんですよ。

『お祝いだ、お葬式だ

 ゆっくり過ごす日曜の朝だ』

人ひとりひとりがそれぞれ別々の人生を過ごしていて、それぞれへの共感なんて強制されるもんでもない。感じたように行動すればいい。羨んで真似しようとしても、妬んでその場所を奪おうとしても。

大体にして、毎日どこかで誰かのお葬式をやっているのが本当の現実なのであって、だからって我々が今日楽しんだことを発信することに毎日躊躇ってるかっていうとそんなことはないわけで。今年になって数々の災難が降り懸かる中、自分の知る中に被害がなかったら素直に喜んでいいのよね。

確立した個人が共感し合う事と、他人が書いた言葉と自分の思いの間の区別がまだついてない未発達な精神状態の人が憤る事はまるで別の話なのです。

こういうときに、「平和を謳歌する」って言い方をするのが好きで(今まで何度も書いている)。goo辞書によると「恵まれた幸せを、みんなで大いに楽しみ喜び合うこと。」とある。こういう行為のことを「歌う」って言葉で彩るの、なんかいいなって。歌ってそういうとこあるんだよね。

願わくば、今回被災した人々も、今年の『SCIENCE FICTION』を謳歌する機会にどうにか間に合いますようにと願わずにはいられない。私がそう願うのは単なる私の感情でしかなく。そりゃ昔石川や新潟でも宇多田ヒカルはコンサートやったことあるんだから気になるんだわさ。それだけのことだし、それだけでいいと思う。今年を宇多田ヒカル謳歌できる人は、しよう。次回からは普通にそういう「歌」の話に戻りますね。