無意識日記々

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上半期総括は無理なので勝手な願望を語ろう

あぁそっか、もう2022年上半期が終わるんだね。そういやこの間オンエアチャート取り上げたっけか。下半期に入る前にこちらの地域では梅雨明けという慣れない流れではありますが。

上半期総括といっても、こちらのアタマは色々在る中の宇多田ヒカルではなく、生活の中心が『BADモード』になっていたので客観的にみてどうのってのはもう全く語れないのよねぇ。このアルバムが凄い!という事実は、しかしつまり、世間のことをまるで知らなくても断言出来る。時流とか関係ない。その割にサウンドが最先端付近だと絶賛されちゃうのが宇多田ヒカルならではでね。凄いね。

それでも無理矢理触れるなら、宇多田ヒカルに対する周囲のリスペクトがまた一段上がった気がするかなと。なので、来年あたりから「宇多田ヒカルに影響を受けて音楽始めました」という世代がメジャーデビューするケースがまた増えたりするのかな、っいう展望はちょこっとだけありますわ。

ただ、今までもそうだったしそうなる前からもそう言ってるんだけど、「作曲家宇多田ヒカルの音楽性」の影響を感じさせる音楽家って相変わらず皆無なのよね。つまり例えば歌い始める前のイントロが流れてきた時点で「なにこれちょっと宇多田っぽいな?」と思わせるような音楽・音楽家はまだ出てきてないってことっす。そう考えると倉木麻衣のスピードは凄かったなぁ。いやあれはどちらかというとビジュアルとか方面重視ですが。

何しろ、我々リスナーだって、何も知らずに本家の新曲がラジオから流れてきた時に「あ、宇多田ヒカルの新曲だ」って断言できるかっていったら無理だかんねぇ。残念ながらか幸いにもか、そんな機会は現実には来てないのですが。

そんな状況で「宇多田に影響を受けた音楽」を見極めれるかって、まぁ出来ないだろうな。希望はしても、現れたときにそれとわからないなら、はてさてそれは意味があるのやら、ないのやら。

そんなことはどこ吹く風とばかりに、『BADモード』は「宇多田ヒカルならではの傑作」「宇多田ヒカルにしか作り得なかった名作」として好評価を受けている。音楽そのものが評価されている中で、その「宇多田ヒカルらしさ」が何の特定の音楽性も指さないって、改めてとんでもないことだ。

何なんだろうね、『BADモード』では小袋成彬もA.G.クックもFloating Pointsも、ファンなら彼らとわかる刻印をしっかり残している。そんな中でもヒカルは彼らの個性に引き摺られ過ぎることなく自分のらしさを発揮している。しかしその「らしさ」って、結局何のことかわからない。

例えば『気分じゃないの(Not In The Mood)」のダウナーな歌い方と実話を基にした歌詞のアプローチは、今までのヒカルにないものだ。が、この曲を宇多田ヒカル以外の誰が作れたかというと全く思いつかない。間違いなく「宇多田ヒカルならでは」なのだ。しかし、“この”音楽性がヒカルらしさなのかというと違う。違うのよ。

間違いなく傑作なのに、そして、これを作り得たのはヒカルしか居なかったのに、その“個性”をサウンドの中に見出そうとすると、途端に迷子になるというか。歌詞の方はわかりやすいんだけどね。普段の発言がそのまま引用されてたりしててね。

どこかで誰かがヒカルのサウンドを“解体”してみてくんないかなー、とは思う。『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』のリミックス・アルバムは待望だと思われるが、通常の、各リミキサーがその個性を発揮するスタイルとは全く別に、「宇多田ヒカルを分析・解体しよう」という学究肌でアプローチしてくれる人が出て来ないかな、というのがひとまずの下半期に向けての私の個人的な願望かな。そこを苗床にして「宇多田ヒカルの音楽性に影響を受けたと聴いてわかるアーティスト」が出て来てくれたら、シーンとして新しいフェイズを臨める気がするのですが、うーん、まだ10年は早いかなぁ?