無意識日記々

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『やっと外の世界に目が向いて』

『私はそれまで、政治とか世界のニュースとか、自分の外側のことに余り興味がなかったんですよね。本当に家にいるタイプだったので(笑)。でも、やっと外の世界に目が向いて、その世界の中にいる私という立場も凄く見えてきて。それが地に足が着いているという状態に繋がっていると思うんですけど。いくらアーティストとして概念的に自分のことを探っていても、自分がどこにいるのかわからなかったらコンテクストも何もないじゃないですか。この数年でニュースとか世界情勢に対する関心が高まって、いろいろ勉強するようになったというのは絶対にあると思います。』

MUSICA2023/10からの抜粋。前回「過去より一層世界情勢を気に掛けてるとも言っていたし」と書いちゃったのでそれに該当する部分。

これ、わかりにくいのは、ヒカルさんが勉強すればするほどWebでの発言が年々慎重になっていった点。慎重どころか喋らないよね。メッセ初期の頃の方があれやこれや世界情勢について発言していたまである。知らないが故に気軽にいろいろ言えたってことかな。

このようなヒカルさんの変化をいちばん象徴的に捉えたのは2017年の『あなた』だろう。結構希少な例だと思う。

『戦争の始まりを告げる放送も

 アクティヴィストの足音も届かない

 この部屋にいたい もう少し』

他の言い方に較べ、特にここの言葉の選び方が印象的よね。直接的だ。匂わせるだけでなく、こうやって歌詞でも踏み込んだ発言をしている。わりに、例えばツイッターで時事問題について呟く機会はかなり減った。2012年までが極端に多かったということなのかもしれないが、はてさてこれが今後どう変化していくかだ。

ELLE CHINAのインタビューでも「もし超能力を授かるなら戦争を終わらせたい」とも発言していて、恐らく日々伝えられるウクライナ情勢や中東情勢に心を痛めているのだろう。これらですら、現実の地球上においては「報じる側にとって影響があるから報じられている」に過ぎなくて、関係性の薄い国と地域での戦争や紛争はそもそも報道として取り上げられていない。内戦となるとそもそも情報が伝わらないかもしれないしな。民主的で平和主義な政体はまだまだ少数派のようだ。

…だなんてそんな余談はさておき、つまり、「ヒカルさんの世界情勢に対する関心の高まり」と「宇多田ヒカルの姿勢に対するリスナーの認識」の間に現在かなりの乖離があるのではないかと今私は疑問に思っているということだ。或いは、例えば私にとって『あなた』は数ある楽曲のうちのひとつでしかないけれど、一般的な邦楽リスナー(どこの誰らのことなんだか)にとっては宇多田ヒカルの代表曲のひとつであって、その歌詞は象徴的に重視されているのでちゃんとヒカルさんの関心の変化は伝わっているのだとみることも出来る。実際、有泉編集長は『気分じゃないの(Not In The Mood)』の歌詞について、そこに垣間見られる「現代社会に対する批評性」を重視していた。私はそんなことなかったので、同じ歌詞を聴いていてもやはり捉え方は千差万別なのだなと痛感させられた。

果たして、「宇多田ヒカルのイメージ」という、どう捉えたらいいかはわからないが、様々な物事を決定づけていってしまう絶対的な基準は今実際どこらへんにあるのやら。結構わからん。まぁあれだ、もっと直接的にいろいろと発言したらわかりやすくなるかもねとも思いつつ、それが適切かどうかはまだまだ私は判断出来かねるのでした。あなたはどう思います?