前回問題点を整理した『こどく・ぅ〜』の歌い方。聴く方にとっては地味な話だが、作り手としては非常に有用な発見なのだ。
そもそも、なぜそんな区切り方で歌ったのか。別に普通に「こど・く〜にも」と歌っても構わなかった筈なのに。尺的に問題ないからね。その理由は、ヒカルが常々子音と母音のの組み合わせ方で情感をコントロールしているからだ。
例えば有名な『First Love』の『誰を思ってるんだはー』。『ろう』が『はー』に聞こえるのは、実際にそれに近い感じで歌っているからだが、なぜそうしてるかといえばメロディの流れからして音が上昇する所でより開放的な響きが必要な場面だからだ。「ぉー」の音より「ぁー」の音の方がひらける感じがあるもんね(口の開き方からしてそうだしね)。つまり、本来なら「だはー」に近い音の歌詞を入れたかったけど入れられなかったから歌い方で誤魔化してるのよココ。『Automatic』の歌い出しと一緒で、ヒカル本人からすれば「妥協案」の一種なのよね。これからわかるのはその優先順位。ヒカルはメロディの質感を保つ方を優先するのだ。「ろ」が「は」に、「ぉ〜」が「ぁ〜」に聞こえようとも。
これを踏まえると、『Time』の『どんな孤独にも』の場面では「こど・く〜」とは歌いたくなかったのだ。少し雑な説明をすれば、あのメロディに歌詞として「く〜」を載せてしまうと、キンキンに冷えた生ビールを飲み干した時の「くぅ〜!」みたいに聞こえかねないのよ。少し気持ちのいい感じが出てしまう。ここでは使う言葉が「孤独」なのだからその名の通り孤独感やそれに耐える感じを出したい。それなら「ぅ〜」という母音のみの音の方が苦悩の感じが出てよいのですわ。じゃあ歌詞を「こどう(…鼓動?)」にするか? いやいやそれじゃ本末転倒。ならば、子音のkだけ前節に押しつけて仕舞えばいいのでは!?というのが今回の閃きの要点だ。本来の歌詞を違えることなく、メロディに託したい情感も損ねる事のない、昔の安易な妥協策とは異なる高次元での解決策。そりゃ本人からすりゃ『な/なかいめのべ/るでじゅわ』よりずっと誇らしいわよね。
これは応用が効く。同じように、子音の響きにによって情感が左右されてしまうメロディにぶつかった時にはまた子音を切り離して前節に押しつけて仕舞えばいいのだから。今後この手法を他の場面でも活かす算段を、ヒカルはもうつけているのかもしれないね。