無意識日記々

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キレ/テル/ノハ/キレイ?

「日本語は必ず子音と母音がセットだから、ひとつひとつの字をバラバラにして音符に載せることができる。なのに、なんでみんなそうしないの?」というヒカルの疑問に答えてみよう。

単純な話だ。だからこそ、なのです。

日本語は幾らでも文章を分解してメロディに載せる事が出来る。ゆえに、適切なメロディを持ってこないと意味の通った1つの文章に聞こえず、単なる音の連なりになってしまうのよ。英語の場合は、ひとつの音符に1つの単語が乗っていると思って構わない。勿論2音節以上の単語も沢山あるが、ラブソングの歌詞に出てくる単語といえばlove,kiss,take,make,have,of,with,kill,hold,,,etc.,,,,とまぁ色々あるけどどれもひとつの音符に載せられる1音節のものが主だ。

そうなると、ひとまず単語は誰でも聞きとれる。"I love you"という歌詞が妙なメロディに乗っていて英語で普通に喋る時の"I love you"に聞こえなくても、Iとloveとyouは必ず聴き取れるので、どこで区切られていても聴き手は「これはきっとI love youと歌っているのだろう」とおおよその見当がつく。しかし、日本語で「わた/しわ/あな/たのこと/おあい/してい/る」とでも区切られて歌われると「綿?皺?穴?他の事?お会い?師弟?ルー?」という風に、全く別の単語の集まりに聞こえてしまう可能性が出てくる。これでは歌として歌詞のメッセージを伝える役割がなかなか果たせない。

実際自分も『Automatic』の冒頭が『七回目のベルで受話器を』だと知ったのは曲を何度も聴いた後だったもの。何やら「主は来ませり」みたいなことでも歌っているのかな?とかぼーっと考えて…いや、考えてもいなかったな。兎に角、そんな感じでテキトーに聴いていた。今でもそこら辺はあんまり変わってない。「驚くのドアが閉まる? あーオートロックね…」って言ってたものね昨年もね。

そんな感じなので、ヒカルがそうやって音を分解して歌詞を乗せてるのという事実自体はよくよくわかるものの、それが高評価に結び付いてる世界とは距離があるのだ私個人は。寧ろ、ちゃんと日本語の流れに近いメロディに歌詞を当て嵌めた『ULTRA BLUE』以降の作品の方が私の中では評価が高かったりする。世間的にはそれは「普通になってしまった」扱いだったのかな。どちらが正しいとか間違ってるとかではないのだが、その“世間”という何かと較べたら、私の方がやや宇多田ヒカルに熱心なのではないかなという気はするな。

と、そういう捉え方でずっと来ていたのだが、今回のインタビューでヒカルの日本語に対するイメージについて更に別の側面が語られていたので、その辺に関して次回は語ろうと思います。あれ?でもとしかして明日から3連休!? うーん、続きを忘れてしまってたらごめんなさいねっ。