無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

歌唱力の更なる向上がTiTOの魅力の1ッだったが、果たして次の新曲にもその美点は継承されているのだろうか。傍目から見ていると、例えばアプシナでの起伏ある唄い分け等はあクマでも英語ならではの表現であって、時に(旋律と比して)淡々と"読み上げる"詩として扱われる事もある日本語詞には応用し難いのでは、と考えたのだが光の場合技術的に何か新しく学んだというよりは、現れたメロディと詞に対して都度適切なアプローチを取る為に新たな側面を開拓する必要があった訳だから、今迄と異なる方向性を新曲が孕んでいるか否かが新唱法の有無を左右するだろうな。