↑「そういえば、くまちゃんは?」という空気を其処彼処に感じるので呟いてみた。光がKuma Changを表に出してこないのは、シンプルに「今そういう気分じゃない」からだとは思う。現実を直視する目線の為には、Kuma Changの視点を借りる訳にはいかないのである。どうしたって童話的な雰囲気が漂ってしまうからね。その空気を纏う事は多分正統派の不謹慎だ。で、それを突破する方法論は単純で、いつもと逆にすればよい。光がKuma Changに話し掛けるのではなく、Kuma Changの方から光を眺めて貰うのだ。単純は単純なのだが、至極難しい。たとえハラワタがワタで出来ていようが、彼がそこに居ると心の底から信じ切っていなければ無理だ。向こうからすれば水7割の奇妙な生き物。どれだけ自分自身を突き放してみられるか。何しろ、彼からみたら光の心はみえないのだ。光自身は当然光の心を知っている。一方で(<口癖だな〜これ)、彼が外から眺める実体としての光がそこに居るのは自明な事だ。自分自身が彼から、彼の心から眺めたとき
、どうみえるのか。何がわかって、何がわからないのか。彼からすれば光は謎めいているのか、それとも常に愛情を注ぎ続けてくれる絶対的な存在なのか、それとも実はあんまり興味がないのか(今そこをカッコいい男子が通り過ぎたぞ!)、心理描写なんてされた事がないからわからない。はたまた、Kuma Changはワンピースのルフィのように思ったことは総て口に出してしまうのか。光はKuma Changの何をわかって、何を知っているのだろう。ただ、ひとつ忘れてはいけないこと。彼と光が戯れていた時に生まれた歌の名は"ぼくはくま"なのである。少なくともその時その瞬間に光は、くまだった。だから"ぼくは"と唄ったのだ。もしそのとき、くまちゃんが宇多田光を見つけていたら何と言ったのだろうか。歌の中で、くまはひたすら自己紹介に励む。エビフライやチョコレートやまくらさんがそこに居る。ママも居る、或いは居た事を知っている。しかし彼は、宇多田光を知っていたのだろうか。難しい。光は自分に対してどこまで他者に
、他人になれるのか。今の光は、「他人事ではない」と強く思っている。だから『思い上がり』という強い言葉が出てくるのだが、そのままでよいのだろうか。くまちゃんは、光が思っている以上に大きな存在なのかもしれない。きっと今日体重をはかったら3010gになっているんだ。更に増えた5gは喜びなのか悲しみなのか。どちらも同じだと言い切る孤独が他人事を許さない。それすらも許したとしてその向こうに何が待っているのか。私は知らない。あなたは、どうですか?