無意識日記々

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『くまくまくまくまくまくまー』

やれやれ(笑)。(まぁ丁度タイトル制限字数に収まる6回にしてくれた事は評価しようw)。パンダの分類については長い年月の論争があり、昨夜のBS朝日の番組のようにクマ特集にしれっと顔を出している事に違和感を感じる私はかなり旧世代。もともと生物の分類は形態学を基礎としたもので遺伝子による解析が始まったのは…ってそんな話はいいですね。光は熊に惹かれる理由を知能知性好奇心にまず求めているが、それだけなら200種以上居る霊長類の多様性に触れる方がよっぽど面白い訳で、やはり鍵となるのは『「神」っぽいもの』な方だろう。これも八百万の神々のような多種多様でなく、どちらかといえば唯一神、或いは偶像も含めた崇拝対象としての存在感を指すのだろう。その為には勿論まず二足歩行が重要である。見上げる対象でないといけないからね(四足でも信仰の対象になりはしますが)。もうひとつ、食物連鎖の頂点である必要もある。神が何かに食われるのはやっぱり違うし、"向かう所敵なし"な雰
囲気も荘厳さに一役買う。そして私が一番重視しているのは顔が人間ぽくない事である。霊長類は確かに知的だが、顔面の構造が人間に似すぎていて親近感が勝ちすぎて崇高さをそぐきらいがある(ハヌマンラングールとか居るけどねー)。しかし熊は、二足歩行で人間によく似た所作を持ちながら顔の骨格が大きく異なり、そして大きい。推測だが、熊の頭部を人間が取得した場合、それを飾ると共に"頭からかぶった"のではないか。霊長類だと顔が近すぎて面白味が薄いが、熊をかぶると"何か違うものに変身できる"のだ。古代のシャーマンたちがそのように振る舞っていた事を妄想するのは楽しい。だから光は、くまをかぶったのである(ねこはかぶらない)。くまのきぐるみを着込んだというより、きぐるまれるならくまなのである。なにかおおきなものにかわりたいというきもちのあらわれをうけとめるにはそれはくまでなくてはならなかったのだ。熊崇拝・熊信仰の伝統に則り神の言葉を歌の言霊として現代に伝えるシャーマニズムの巫
女・歌姫宇多田ヒカル。まぁ、本人は例によって無意識的な選択・行動だろうけどね。