Popであるという事には、直接的な音楽性のみならず、その活動形態も含意される。幾ら音楽性が大衆的でも、芸術家肌を発揮していつまでも制作に没頭しリリースペースが空いてくるとなんだか別物になってゆく。そう考えるとリリースペースが8年間隔だった嘗てのBOSTONが"産業ロック"と揶揄されていたのは皮肉なことなんだが。
日本で音楽を商業化、工業化したいちばんの後継者は、光と誕生日を同じくする松任谷由実である。80年代後期彼女はまさにひとりだけ化け物で、ミリオンヒットアルバムを連発していた。音楽的に売れ線だったのは間違いないが、当時の彼女が真に凄まじかったのは毎年ほぼ同じ日(11月21日前後)にアルバムをリリースしていた事だ。3年目位になると「そろそろユーミンの季節だな」と完全に風物詩化していた記憶がある。あれだけ売れるアルバムを、まるで納期をきっちり守る工事のように生産した事が、彼女を元祖J-Popの女王たらしめたのだ。
21世紀に、そういった意味に於いて女王の名を引き継いでいたのは浜崎あゆみの方であり、宇多田ヒカルではなかった。様々なライターを起用し楽曲を大量生産し、ヒカルの倍以上のシングルをリリースしてきた。現在の時点でJ-Popの商業化・工業化の極北に位置しているのは彼女の方だ。
しかし、ヒカルだって実際はかなりのペースで楽曲を量産していたのだ。プロジェクトとして大掛かりなあゆの方法論とは違い、まさに文字通りの家内制手工業で頑張ってきた。それでこれだけの生産力があったのは驚異的といっていい。しかし、そのユーミン以降のミュージシャンに課せられた(とまで言うのは些か言い過ぎだが)リリースペースの早さの平均からすると、やはり突出している訳ではないし、何より大きかったのは、事前にリリース時期が読めなかった事だ。いつ次が来るかわからないアーティスト、という印象自体がリリースペースに対する感覚を改変する。確かに、事後から数を数えると申し分ないのだが、事前にはその感覚が生まれてこない。ユーミンがリリースペースをがっちり守り、毎年人々の期待を自動喚起していたのとは対局にある。つまり、Popsに関して重要なのはその生産量だけでなく、事前に予想できるコンスタントさもなのだ。その点に絞っていえば、ヒカルは"Popではなかった"と言えるだろう。家訓(?)が"
いきあたりばったり"なんだからまぁそれで何も間違っていないのだが、8年どころか1年おきにアルバムを出した事もあるのにいつのまにかポジションはBOSTONのような「急に現れてアルバムを売りまくってまた沈黙」みたいなイメージになってしまった。まぁちょっと極端な表現だけど。Popという観点からみるとちょっと損な気がする。
では今後はどうなのだろう、という話は時間が来たのでまた次回。