無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ヤレヤレ何に憤っているんだか(溜息)

さて続きものはちょっと小休止。全く何の脈絡もないのだが、チケットの問題について考えをまとめておきたい。新味のない内容なのでそのつもりで。

宇多田ヒカルのLIVEコンサートチケットといえばプラチナチケットばかりだという印象が強い。何度か書いてきた通り、私はそれを非常に馬鹿げた事(ridiculous)だと考えている。観たいという人間が居るなら全員観れる回数だけLIVEをやればいいのだ。その点において、私はUtada Unitedを高く評価している。ソールドアウトでない会場があったらしいからである。つまり、チケット自体は誰でも手に入れられたのだ。遠隔地だからとか旅費がどうのとか休みが取れるか否かといった問題は確かにあるが、そこから先は各自の事情の問題である。いやツアーってのはそれが本質的な問題ではあるのだけれど。

ヒカルの5とかWILD LIFEは倍率何倍とか報道されていたが、それは需要に対して供給量が不足しているという、商売人なら恥ずべき事態である。セガサターンの供給量を見誤って湯川専務は常務に降格された位だ(真偽は知らない。要はそういう風にネタにできる話だということ)。

勿論、プレミア感を増してブランド価値を高めようという戦略もあるだろう。しかし、それは宇多田ヒカルのやることか? 要らんだろうそんなもの。あの質のバカ高い生歌唱にプレミアだのブランドだの一切不要。歌で勝負できるのだ。そんな小手先のマーケティングは寧ろ毀損であろう。梶さんの性にも合わないだろう。

私だってヒカルの5やWILD LIFEがああいう開催形態になった事情位耳に入っている。ヒカルが毎回ベストを尽くしている事位知っている。私は何れも幸運にも自力で当選して観ているのでLIVE自体には幾ら感謝してもしたりない(そう思うからこのblogは続いている…訳でもないか。まぁ促進剤にはなっている。)。だがそれとこれとは別である。

そのような状況を自ら作り出しておいて、チケットの値段が転売とオークションによってつり上がっているのに文句を言うのはやめてほしい。ちゃんと必要な枚数売れば値段なんか上がらないのである。希少価値があれば値段が上がる。貨幣経済にとってそれは自然な現象でしかない。

だったら最初っから、とんでもない値段で売ればいい。一万人の会場でやるんなら、ちょうど一万人くらいしか払う気がおきない程度の値をつければいい。それだけの価値があるものには、それ相応の値段がつく。自分が嫌でも、利益は最大化されてしまうのだ。誰の懐に入るかはさておき。

たとえ無料で一万枚のチケットを配ったとしても転売と競りを繰り返していくうちに値段はついていくのだから。

では、なぜチケットの値段を上げないのか。これは、多分シンプルな理由だろうから問題としてはとても難しい。お金持ちだけが来るライブも何だかなぁ、ということだろうし、値段が高すぎると世間の評判を落とすというのもあるだろう。しかしいずれにせよ結局、ミュージシャンって「お金じゃない」からだと思う。あれ、この話長くなるな。次回に続くかもしれない。