無意識日記々

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サウンド志向思考試行(4)

ポリフォニカル・エレクトロニカ(今勝手に名付けた)な光のサウンドが今後どのように変化するか。想像するならSSv2のサウンドにどう至ったかをみてみるのが手っ取り早い。

しかし、だから難しい。たった5曲だが、サウンドの幅が広すぎる。これだけの振り幅でも散漫な印象を与えないのは偏にボーカルの存在感が強烈であるからに他ならない。

如何に光の音楽が対位法的な側面を強めても、光の歌声が軸である事に変わりはない。逆にいえば、それが最も強い制約条件であるともいえる。今の流れでは、例えばBohemian Rhapsodyのような絢爛豪華な世界観には辿り着き難い。

Wild Lifeというタイトルから、スタジオトラックでもナマっぽい演奏の割合が大きくなった印象も受ける。キャンクリは基本ピアノ一本だし、嵐の女神は素朴なフォークロックだ。愛のアンセムは言わずとしれたシャンソンとジャズのフュージョンだし、SMLNADはオーセンティックなハードロックサウンドだ。ヒカルらしい打ち込み系はつまりGBH一曲で、これもナマのストリングスとシナジー・コーラスという生身の音が効いているから従来からは一歩も二歩も踏み出している。

この流れでいえば、もう一度FINAL DISTANCEの、ピアノとストリングスとコーラスといった剥き出しのナマの音のアンサンブルに帰ってくるのではないかと思えてくる。

FINAL DISTANCEは、何度も繰り返しているように2001年当時の光にとっては偶然の要素に数多助けられたいわば"出来過ぎ"のサウンドであって、以降はその偶然の部分を自らの手で埋め合わせる事が出来るように腕を磨いてきたのだと思える。SSv2まで来た今なら、ヒカルは意図的に、或いは自らの等身大の力量によってFINAL DISTANCEのような壮麗な美しさを"再現"できるようになっているのではないだろうか。

となれば、今後のサウンド志向にはある程度予測がつく。つまりは生楽器をこれまで以上に強調して、且つポリフォニカル・エレクトロニカで培った視覚的な構築術を活かしたスケールの大きいサウンドだ。ダイナミック、といえばいいか。HEART STATIONよりもビッグなサウンドが来たらもう驚くのを通り越して呆れ笑うしかないのだが、それが自然な予想であるようにみえる。先程否定した、Bohemian Rhapsody的な世界観に近付いていくだろう。同時に、キャンクリのようなシンプルな強さを持った曲も書いていく。一曲では光の世界は表現できず、ますますアルバム・アーティストとしての傾向を強めていくのではないか。

となると。やはり難しいのはそのボーカルの個性である。これが何よりも最大の魅力である事は疑いないのだが、Bohemian Rhapsody的な世界でそれをどうフィーチャーしていくか。その鍵はPrisoner Of Loveにあるとみる。以下次回。