無意識日記々

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毎度の如く初心に立ち返る

このままツアー詳細で関心がそちらに向くとしたら、流石に今夜からの『初恋』配信は忘れないにしても、ドラマ花晴れの視聴とか、あとは来週映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の円盤が発売されるんだけど、そういうのも忘れ去られそうでちと怖い。ヒカルの歌が聴けるのに。

どうにも、毎度ヒカルのコンサートチケットがプレミア化するのに辟易している。手続きが煩雑で面倒だというのも大きいが、いちばん気にかかっているのはそのプレミア度にばかり注目が集まる事だ。

宇多田のライブチケットがとれた、と言えばファンでない人まで含めて羨望の眼差しでみられる。それだけ稀少な機会を得れたのだから優越感に浸るのも当然。だが、そればかりでは物事の本来を見失う。ただ稀少な機会に選ばれるという優越感で完結してやいないか。

いちばんの目的はヒカルの生歌を体験できる事だ。それは、機会が稀少かどうかには関係が無い。たとえ1年365日毎晩ヒカルの生歌が聴けたとしても相変わらずその歌声は素晴らしい。ただもうそれは人生が素晴らしくなるのと同義だ。多い少ないは関係ない。それを、チケットのプレミア化が塗りつぶしてわかりにくくさせている今の状況が歯痒いのだろう。

勿論、他の人がそれをどう感じどう表明しようと自由だが、目的の違う人でいっぱいの空間に居続けなきゃいけないのはストレスだ。環境としては、ちゃんとヒカルの生歌に焦点が当たるようなものを所望したい。つまりただの願望表明だな。

だから毎度お馴染みの"チケット狂騒曲"に対しては冷めた目で見てしまう。理想をひたすら言えば、売れ残るくらいにチケットが用意されていればこんなに色々と惑わされる事はない。「お、今夜は時間があるな。宇多田の歌でも聴きに行こうか」と言ってフラリと当日券でみられるくらいがいちばんいい。それくらいリラックスした状態で聴いてもやっぱりヒカルの生歌は素晴らしい筈だ。流石に現実にはそれは無理だとわかりきっているしヒカルの喉の為にも無茶は止して欲しいがそれが本音なのは間違いない。