無意識日記々

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そりゃあ、お互い歳をとる訳だ。

ラジオ主体で、即ち聴覚主体でミリオンヒットを飛ばしたヒカルが皆の前に視覚的に姿を現したのは13年前の今日だった。自前のラジオ番組は既に二つ持っていたしBSCSでは既に顔を出して喋っていたのだが大半の日本人にとっての"ヒカルとの初めての出会い"はこの日だったのだ。あれだけシリアスな歌を唄うからどれだけエキセントリックな人なのかと思ったらあれである。くりくりおめめで笑顔のかわいい…って書き始めると長くなるのでここで切るが、三宅Pが自信をもって送り出した"動くヒカルの魅力"は見事なものだった。その意味において、つまり、テレビで映していたら見たくなるという意味で、ヒカルもまたアイドルだったのである。

ヒカルはまもなくその状況に反発する。「髪型を変えただけで日本中を騒がせた」という話は当時を知らない世代が増えるに従い伝えるのが難しくなっているが、皇族でもこれだけ騒がんだろという位メディアは騒いだ。別にLADY GAGAみたいな奇抜なコスチュームに身を包み始めたのではない。寧ろ歌手として普通の格好になっただけだ(私は当時そう思った)。如何にヒカルのアピアランスに価値があったかがわかる。

でも今はそれも昔。30歳目前である。そんな風に騒がれる事はもうないだろう。GAGAに対抗心を燃やしたならともかく。視覚面でのニーズは、熱心なファン以外にはもうあんまりないのではないか。胸部を除いて。(そこのニーズは案外年齢に左右されないのである)

かといって、急に踊り出すような事も考え難い。歳とるんだから尚更だ。となれば、果たしてヒカルは今後どのようなアピールを考えているのか。アイドルのルックスやゲーム画面やアニメーションやダンスに匹敵する、音楽と共に提示される視覚刺激。この点をクリアしないとインターネット世代の五感にはなかなか届いていかないのである。今や誰しもが、スマートフォンや携帯ゲーム機やタブレットやPCの"画面"を暇さえあれば目で見る生活を送っている。音楽というコンテンツは、そんな状況でも聴覚刺激のみを提供し続けてきたから廃れているのである。音楽に耳を傾けている時に泳ぐ目線を如何にして捕まえるか。それが主体としての音楽コンテンツの復活の鍵を握るであろう。

勿論、音楽には「目を休ませる」効果もある。これだけ皆目を酷使する生活を送っているのだから、逆に音楽を聴きながら目を閉じればいい、と促す事もまた一案だろう。その為にはそういう音楽が"Popsとして"生まれなければならない。それはそれでまた難しいだろう。

ヒカルはどんな事を考えているだろうか。ヘッドフォンをして人混みの中に隠れて音楽を聴いてもらいたい? 車に乗っている時? お皿の裏面を濯ぎ忘れながら? そういう「"ながら"だけ」を想定するには、ヒカルの曲は強すぎる。何か作品に注目するような視覚要素が必要である。

試金石は既にある。宇多田光名義でミュージック・ビデオを撮った。Youtube時代、或いはニコ生世代を強烈に意識したアプローチを、自らの歴史の豊かさに引き込んだ手腕は見事だった。あのセンスを、ただのPV監督としてだけではなく、もっと広い意味での視覚刺激のオーガナイザーとして発揮して貰いたい。例えばスマートフォン世代なら、既にBjork等がやっているようにアプリのひとつとして新曲を提示するのもひとつの方法だろう。何を聴かせたいか。その為には何を見せればいいか何を見せなくていいか。音楽がメインのコンテンツにまたなる為に、他の五感もまた最大限意識していった方がいいと思う。

さしあたって配信音源に関しては、特にカラオケトラックについては歌詞が流れていくようにしておいてくれればいいのに。他のアーティストはもうやっているだろう。そうするだけで人は意外に音楽を集中して聴いてくれる。そのフォーマットだけを発売する事はないが、そのフォーマットも発売しちゃえばいいのにね、とずっと抽象的な話ばかりだったから最後に具体的な提案をひとつして今宵はお開きにしたいと思います。また次回。