無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

記憶と思い出の在処

(…まくらは飛ばして読んでも大丈夫なように書かないとね…)

Cryptopsyの音楽(誰だ「屈強なガテン系男子の工事現場みたいだね」とか言う奴は。その通りだ)の魅力を言葉で説明するのは難しいが、実際に聴いてその魅力を感じ取って貰うのはもっと難しい。不可思議な話だが、大概の人にとっては「へぇ〜この人こんなに感動してるんだ」と思ってもらって終わっておくのが美しい気がする。恍惚が行き過ぎて自分が生きてるんだか死んでるんだかわからなくなる感覚、とか時間が麻痺痙攣するような感じとか、自分の体内に存在しない臓器が疼くような感じ、肉体性と知性ね違いがなくなる場所、地獄であり天国であるような、騒音の塊でありながら究極の静寂であるような、そういったフィーリングの数々。音楽の表現力の極北を感じさせる。

(まくら終わり) 

だなんていう言葉を連ねると、読み手の中に、あクマでも想像の範疇であるものの、何がしかのイメージやフィーリングが立ち上がってゆく。こちらの内面にはありありと感覚が在るのだから後は私の表現力の問題だ。まぁそれの有る無しはいい。

歌の歌詞のひとつの理想として、紡がれた言葉を繋ぎ合わせるだけで出来るイメージと、メロディーやリズムで構成される音楽の作り出すイメージが重なる事が挙げられるかもしれない。歌詞と音楽の関係性は人と人の関係性並みに複雑なので一概に言う事はとても出来ないが、それがひとつの"理想"として語られる可能性については認めてもいいだろう。

ヒカルの歌詞が音楽とよく符合しているなぁ、と思ったのはやはりPassionか。『思い出せば はるかはるか 未来は…』というくだり、特にafter the battleのサウンドとの相性は完璧に近い。驚くべきはピアノを弾いた人が日本語を解せない事。今なら多少はわかるかもしれないが。そりゃここまで歌詞にぴったりの響きを出せるんだから長年バンドマスター任せる事になるわなぁ。いや本気でこの彼の"長期政権"を決定付けたのはこの曲でのプレイかもしれない。それ位の名演である。

その名演を誘発したPassionという楽曲の存在感、そして妥協なく紡がれ切った、苦労に苦労を重ねて完成した日本語詞。いやSanctuaryの直接的な抽象美も素晴らしいのだが、やや回りくどい位にダイナミックでカームなフィーリングを醸す日本語詞の魅力はそれ以上だ。よくぞここまで音楽に合致した日本語を並べられたものである。

最早自分で試す事は出来ないが、Passionという曲を知らない人がまず歌詞を文字だけで読んで、その後楽曲を、渾身の渾然一体サウンドを聴いてもらった時に、果たして「詞だけを読んだ時に浮かんだイメージとよく合う」と言って貰えるかどうか。様々な価値判断基準があると分かってはいるのだがそれでもこの問いに"Yes."と答えてくれる人の存在を信じたくなってくる。そこまで求道的でなくてもよいけれど、感覚と言葉の対話が成立する事を、言葉を紡ぐ者はいつでも夢見ているのだ。それは、「忘れない」事と同義なのだから。