無意識日記々

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視覚刺激に死角無し

そしてもう一つの新しい動画、EVAQのネタバレ全開の映像をフィーチャーした桜流しShortVer.の新しいPV(?)である。これがまた頗る素晴らしい。Beautiful WorldのShortVer.のPVも唸らされる出来だったがこれはそのインパクトを上回ると言っていいだろう。

そもそも、音楽に合わせた映像を作る事にかけて、EVAのスタッフはエキスパート中のエキスパートだ。残酷な天使のテーゼが十何年もアニソンのトップとして君臨し続けている(その点に関してはさしものBeautiful Worldもかなわない)のも、あの旧世紀TV版でサウンドと歌詞に絶妙にシンクロする映像のインパクトが抜群だったからだ。あのOP映像なくして残テの今の地位はないと断言できる。そのノウハウの伝統が、BWや桜流しのPVにも生きているとみるべきだろう。

一番唸らされたのは『開いたばかりの花が散るのを見ていた木立の遣る瀬無き哉』の所でシンジとカヲルと、更にあのグランドピアノの隣に佇む灌木(或いは若木か)を映し出した事である。やられた。このド直球ぶりは残テOPのあのセンスである。シンジとカヲルの間に花開いた友情、愛情、絆が、カヲルの死によって引き裂かれるのをあの木は何も出来ずに眺めているだけだ。完璧。そして勿論この場面では先週しつこく見てきたようにグランドピアノの荘重な響きが軸となって荒々しいサウンドが展開されていて、これまたシンジとカヲルが連弾に用いたあのグランドピアノとシンクロする。これでヒカルは脚本を殆ど読んでいないというから恐ろしい。

そう思って歌詞を聴き返す/読み返すと完全にこれはカヲルを失ったシンジの物語にしか読めなくなってくる。マジック。更に『私たちの続きの足音』ってEVAQのエンディングで3人が足跡をつけて歩いていく場面を否応無く連想させる。『あなたなしで生きてる私』の表情は些か情けないが。あそこでシンジの表情をコミカルに描くところが新劇版の新劇版たる所以であり…って話は脱線になるからこれは稿を改めて。

それにしても、である。何故今回ヒカルが配信と同時に日本語詞だけでなく自身初という日本語曲の英語訳を発信したのか。これでよくわかるというものだ。歌詞の音韻は今回そこまで重視されておらず、大切なのはそれの描く情景、言葉の意味の方なのである。今見てきたようにその内容こそがEVAQとシンクロしている。海外にもEVAのファンは多い。彼らに対してしっかりメッセージを届ける必要があったのだ。こういう事を歌った歌なのだと。繰り返すが、例えばキプトラのように日本語の音韻の粋を集めた楽曲と桜流しは一線を画するのである。また後日指摘するが、多少無理をしてでも描写したい内容を優先させた節がある。

そしてもうひとつ。先週これでもかと指摘したように、サウンドのひとつひとつが歌詞によって具体的に意味づける事が出来る点を英語圏のファンに知ってもらいたかったというのが大きい。あの後半の連続単和音に巡り会うに際して"the footsteps"という単語が目に入るか否かの違いはとても大きい。あれが足音の表現だと解釈する事でサウンドの深みと広がりがより増す。それを解っていたからヒカルは今回わざわざ英語訳にチャレンジしたのである。

斯様に、今桜流しは映像と歌詞表示の力を借りてよりその魅力を人々に敷衍している。まだまだその勢いはとどまる事を知らないようだ。