無意識日記々

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シーンの空洞化と宇多田ヒカルの関係性

今の傾向として、俗に言う「ファンの蛸壷化」がある。特定のアイドルやミュージシャンを主に追っかけているようなファナティックは、いつの時代も一定数居るものだが、商売をする方がそちらに狙いを定めてきているのが時代の変化と申しましょうか。

例えばこれがアニメの世界だと、シーンをいちばん支えているのは「アニメファン」だ。3ヶ月毎に大量に新作が投下されるシステムも大きいが、特定の作品のファン、特定の監督やアニメーターや声優のファン、といった層より何より「今季は何を観ようかな」といった感じの"浮動票"の動きがいちばん影響力がある。その為、市場が活気を失わない。常に面白い方面白い方へと人の関心が移動しているからだ。

今まで何度も指摘してきたように、J-popが絶滅感を出して久しいが、それにはこういう"浮動票"の激減も大きいのではないかと思える。つまり、「今週は何を買おうかな」みたいな、購買行動を前提とした選択、みたいな事が減っているような感じがする。突き詰めていえば、音楽消費行動が日常生活の中で習慣化せず、特定の才能のその時々の頑張りに大きく依拠する事態となっている。例えば今、秋元康氏が今やってる仕事全部をやめて引退するとなればCDの全体の売上は大きく落ちるだろう。「じゃあ他のを買うよ」とは、ならないのである。この流動性の有無が他の業界と大きく違う。

ヒカルの場合、どういうファン層に買い支えられているのだろう。何度か述べてきているように、「宇多田ヒカル名義で出たものは(内容の如何に関わらず取り敢えず)必ず買う」という層はそんなに厚くない。人間活動によって多少変化はあるだろうが、せいぜい1万人位ではないか、というのがこちらの見立てである。もしそうだとすれば、ヒカルの作品を購入する層の殆どは、作品毎に買うか買わないか判断して買ってくれている事になる。つまり、ほぼ"浮動票"の動き次第で、売上が変わるのだ。という事は、宇多田ヒカルを支えてきたのは、「今週何買おうかな」というスタンスをもった"J-Popファン"であるのではないか。

J-Popファンが減れば、ヒカルの売上も下がる。シーンに依存した体質の商売をしているといえる。一方でヒカルは、一世一代の感が強い。余りにも孤高で、ライバルやコリーグスが居ない為、「今回の宇多田の曲はイマイチだからこっちを買おうか」みたいな事になりにくい。ヒカルの曲がダメだったら、購買行動自体を止めるのではないか。ここらへんの、ファン層・購買行動・シーンの中での位置付け、といった点が、私の中でなかなか整理がつかない。人間活動中に、ある一定度の目処をつけて次の新曲を迎えたいところである。