無意識日記々

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トラウマとジレンマの狭間

夜中の遅い時間に桜流し掛けるもんじゃないね。あれは沈むわ。

Be My Lastは、今思えば私生活がそういう事だったからああいう作風になったのかな、と思えるが、桜流しの方はまだ「今思えば」という段階ではないので、引いて眺めるのは難しい。

震災の影響は大きい。自分自身に災厄が降りかかっていなくても、真の祈りの力を引き出すのは容易い。ヒカルのように歌に託すなら尚更だ。それはつまり、そこから私生活の影響を見極めるのはより難しくなるという事だ。

もし震災がなければ、これは別れの歌である。ヒカルの場合、First LoveとかHeart Stationとか、「別れても好きな人」な歌詞が見られるが、桜流しもまたそういった歌の系譜を受け継いでいるとみるのも可能だ。では、それがヒカルの実生活から来ているかというと、先述のように震災の影響が大きいし、何よりEVAの歌なのだからそこからの要素を抽出するのはやはり難儀である。どうしたものか。

フィクションにしては重すぎる。それが桜流しのトーンだ。EVAはフィクションだが、震災はあらゆる虚構を上回ってその災禍を振り撒いた。ここでもまた、見極めが困難だ。

正しい態度は、歌詞がどこから来たかを探るのではなく、その意味する所は何なのかを探る事だろう。それだけで事足りる程、歌詞は力強く簡潔だ。

単純に、ここまで説得力のある歌詞なら実体験が基になっていて、だったらその時のパートナーと別れたのかな、といった推察は拒絶されるという話だ。気にしても仕方がない、とは正論なのだが、わかりやすくいえば前回の離婚がこちらのトラウマになっている。ならば彼女の恋愛のプロセスに於いて、こちらはどんな顔して過ごせばよいのか、わからないのである。

「気にしない」のが、最良の答なのだろう。しかし、興味を惹く程に曲の力が強い。このジレンマ。トラウマとジレンマの狭間で思い悩む。他人事だと割り切れればどんなにかよい事だろう。くまちゃんに縋りたくなる気持ち、ほんのちょっぴりわかるかも、しれない。