歌詞とパブリック・イメージの関係性についても散々触れてきた。桜流しからですらもう3年以上が経過している。ヒカルも距離が測りづらいだろう。
といっても、ヒカルはそんなに計算高いアプローチをする子でもない。計算は出来る。今の自分がこう思われているからこういう曲を書いてこういう歌詞を載せれば喜んで貰えるだろうという計算は立てられるのだ。しかしそれはしてこない。
『嵐の女神』の何が感動的だったかってその勇気である。あんなパーソナルな歌詞の歌を世間に向かって披露をするのは物凄く勇気が要った筈だ。サウンドに新味がある訳でもない、当時の世相や社会情勢を反映している訳でもない、ややもすると「はぁ、だから何だ? 勝手にやってて。」とソッポを向かれるかもしれない、そんな歌を歌った。そんな歌詞を綴った。そんな"リスク"を取れたから私たちの心にまで響いて届いたのだ。
そこはもう、常に際(きわ)で勝負。いや、こんなのを歌ってもという歌をまた書いてくるんじゃないか。ヒカルは誰にでもすぐ共感出来るわかりやすいだけの歌も書かないし、「誰にもわかってもらえなくていい」と開き直った(まぁ、時に負け惜しみの)歌を歌う事もない。個人的な想いを、誰かに響くかもしれない感触を信じて世に出すのだ。
いや、出来によっては自信満々の時も多い。あの、早くみんなに聴いてもらいたいとワクワクしている時のあの感じである。それはそれで、よいものだ。
さて、では具体的にはどんな歌詞を書くのか。書いてくるのか。書くべきなのか。書くべきでないのか。
『桜流し』は「愛する人を喪う慟哭の歌」だ。震災とEVAが影響を与えているのは間違いない。多くの人の心に響いた。そして何より、美しい。
『嵐の女神』は母への想いを歌った歌だ。当時ですら胸を締め付けられる情感が溢れ出す曲だったのに、今歌われたらどうなるか。想像もつかない。
今の2曲は、2013年8月以降、つまり今、歌われたらもう何と言うか何も言えなくなるだろう。もうそれだけで胸が一杯だ。
『Show Me Love』は弱さと向き合い、また立ち向かう力を得る歌だ。一度登った山を一旦降りて、さて今どんな山に登りつつあるのか。それについて綴った続編を期待したい。
『Goodbye Happiness』は今の人生を肯定する歌だ。生まれ変わってもまたここでKissをしたい。今でも同じ思いで歌えるだろうか。歌詞は巧みで、「この人生をやり直したい」という真逆の思いを抱える人も共感できる仕組みになっている。
『愛のアンセム』もまた、生まれ変わってもまたあなたと、という歌で、上記のGBHと共通している。
『Can't Wait 'Til Christmas』もまた巧みな楽曲だ。「クリスマスが楽しみ過ぎて待ち切れない」という人からも「クリスマスなんてただの平日」と興味を持たない人たちからもどちらからも共感を得られる歌詞。これもGBHと共通している。
更に過去に遡って「HEART STATION」アルバムの曲の歌詞も…と思ったがここで止めておくか。
まとめると、ヒカルは真っ向から対立する思考や感情の両方から同時に気に入って貰える曲を書いている。更には『前世(ゼンセ)はきっとチョコレート』に代表される仏教的輪廻転生の世界観をモチーフにして現世を捉えている。ここらへんが5年前のポイントだった訳だ。今、5年以上経ってどんな歌詞を書いてくるのだろうか。
そして、『お母さんに会いたい』から『もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない』の流れが絶望的な現実となって二年半、そこからどう立ち直ってきて今の幸せを掴んだのか、これも歌詞のテーマになっていれば或いはと思うがまだまだ癒やしには時間がかかるかもしれない。こればっかりはtime will tellである。
まだまだ御披露目は先だろう。週刊誌には「4月アルバム発売」説が載っていたようだが、ふむ。まぁもういつでもいいよ。社会の都合で無意味に急かされてヒカルが納得のいってない作品を世に出すのを避けてくれさえすれば、いい。