無意識日記々

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パーソナライゼイション

朝は違う話題でも。

漸く今年に入って日本でもパーソナライズド・インターネット・ラジオが本格的に始動したらしい。海の向こうではPandoraが成功を収めて久しいが、こちらではどこまでいけるだろうか。

パーソナライズドインターネットラジオだとかなんか長ったらしい名前だが、要は個人向けに選曲されるラジオの事だ。lastfm…はあんまり普及しなかったんだっけ日本では。まぁいいや、私も使った事がないからニュアンスはわからないが、簡単なフィードバック(今聴いた曲が好きかどうか)を返していくだけで、自分の好みの曲が次第に流れてくるようになるらしい。iTunesでいえばGeniusみたいなもんか。

このサービスが日本で受け入れられるかどうかは、果たして日本人がそこまで個人向けに特化した音楽を本当に求めているかどうか、にかかっているだろう。全国ネットのメディア…つまりテレビとラジオ、新聞と雑誌の販売網をもつ日本は、国土の広い米国とは全く異なる文化を形成している。

兎に角、売れる時は極端である。その最たる例が宇多田ヒカルで、1stアルバムを買った人のうちSingle Collection Vol.2を買った人は一割にも満たない。いや勿論米国にも一発屋は大量に居て一割なんてメじゃないという落差を体験したアーティストは幾らでも居るが、恐らく市場で最も評価の高いアーティストに対してこういう感じになる事はない。内容が伴っていないというのなら別だが、ヒカルはこの12年の間に明らかに成長している。

何が言いたいかといえば、この国では個人の好みより話題性の方が強いという事だ。個人の好みに特化し細分化された行き先の総合計より"中央"に食いつく層の方が分厚い。そんな国で果たして"パーソナライズ"というコンセプトがどれ位受け入れられるか。

極端な話、全国ネットのインターネットラジオを用意した方が早いのかもしれない。"世界中のネットワーク"を意味するインターネットという言葉相手に国内限定の"全国ネット"なる用語をあてるなんて悪い冗談みたいだが、要は宣伝力である。例えば、Yahoo!のトップページにラジオのボタンをつけるだけでそれを聴く人は凄い数になるのではないか。芸能ニュースの細かい話に続いて曲を流せばそれで…う〜ん、やっぱりPandoraとは対局の発想になってしまう。

つまり、この国は多民族でも何でもないから個人のアイデンティティを主張する意義は薄く、寧ろサッカーや野球の代表戦みたいに「平和なナショナリズム」に訴えかけた方が受ける、といういつもの結論である。秋元康劇場とジャニーズに収束した今のチャート状況が何よりの証左か。一億総中央一極集中主義。ここにパーソナライゼイションのコンセプトがどれ位まで食い込むか。なんだかんだで結構期待しているかも。