無意識日記々

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ta-ta-lu♪ …後編。

前々回からの続き。「ta-ta-lu♪」の「lu」の話。

こちらは、「ta」とは対照的に、槇原敬之もヒカルに準ずる発音で歌っている。

どういうことかというと、そのまま生真面目に、カタカナっぽく「ル」と歌うのではなく、「u」を弱く発音しているのだ。つまり、唇を窄ませるようにはせずに舌先で「l」の子音だけを発音し、「ウ」とも「ア」とも「エ」とも判別のつかない申し訳程度の母音を付け加える感じである。最初の「ta」がスタッカートとして短く千切るように歌っているのに対して、こちらの「lu」は、音は伸ばさないが些かルーズな(ゆるい)印象を与える。

しかも、その子音の「l」の方もハッキリとした「l」の発音ではなく、槇原敬之もヒカルも少し「N」に近い、アタックの弱い発音で歌っている。これは2人に共通である。

にしても、という事はヒカルは、「ta-ta-lu♪」の全編を「n」に近い発音で歌っている事になる。とはいえ流石に「t」の音は「n」には聞こえないが、「l」の方は「n」に聞こえなくもない。兎に角、2つの子音を近付けて発音する事で3つの音を巧い具合に連結させて歌えている。

そもそも、なぜ「lu」なのか「ta」や「tu」ではいけないのか。この理由は単純で、2つの「ta」に対して「lu」は音程が下がる(或いは、上がる)からだ。その"下がり具合"を発音上も捉える為に、つまり、押し気味の"ta"の明確さと対比されるように引き気味の音を配したのである。即ち、「n」に近いくぐもった「l」と、何を言ってるか判然としない曖昧な「u」の組み合わせである。「タッ・ター・」で押して、「ル♪」で引く。この押しては返す波状攻撃がこの曲独特の跳ねるような走るようなグルーヴを生み出すのだ。

そして、そのグルーヴを生み出す為にもうひとつ重要なポイントがある。ヒカルの「lu」の直後の歌い方である。よくよく聴いてみると、ここでヒカルが「エア」を抜いている事がわかる筈だ。文字で書けば「luh」という風に歌っているのだ。この、後から加わる「h」こそヒカルの歌唱の大きな特徴であり、どの楽曲でも至る所でみられる。対比して槇原敬之は、このようには歌っていない。聴き比べてみよう。

そして、このエア「h」の直後にヒカルは息継ぎをする。ブレスだな。これをΦで書くと、つまり「タッ・ターゲット・ル♪」は「ta-tah-luhΦ」という感じになる。この表記わかりづらいな。読者は読み飛ばして貰っても構わない。

この「エア〜ブレス」のくだりを意識して「ta-ta-lu♪」を聴くと、実はヒカルはこのパートを結構せわしく、時間的に濃い密度で歌っている事に気づく。(全くどうでもいいが、日本語では「せわしい」と「せわしない」が同じ意味だというのは面白い。「せわしい」を漢字で書くと「忙しい」になって「いそがしい」と区別がつかなくなってしまうので「セワシナイ」が生まれたのかもしれない)

よくよく聴くとせわしなく歌っているパート、だからこそヒカルは発音をルーズに、ゆるくする事でバランスを取っているのだ。此処をハキハキと発音してしまうと切迫感が強くなり過ぎてしまい、ゴリゴリのユーロビートサウンドみたいに響いてしまう。軽快なのに重心の安定したスイングする"Popな"グルーヴを生み出す為にはヒカルのアプローチが最適だ。このルーズな発音とエアとブレスの組み合わせによってtravelingはグルーヴと共に"楽しさへの期待感"を運んでくる。一言、絶妙である。