無意識日記々

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仕事にも精が出る金曜の午後の息

あらゆる情報が凄いスピードで右から左へと流れていく中で、こうやって12年も前のテイクのヴォーカル・パフォーマンスにじっくり耳を傾けて聴き分けていくだなんて、随分贅沢な時間を過ごしているものだ。新曲が出たらこうはいくまい。

桜流しに関しても同じアプローチで行きたいのだが、なにぶんまだ誰もカバーしていないので比較論が使えない。世に溢れる「歌ってみた」と比較してもいいのだけれど、やはり素人相手に辛辣な言論を繰り広げるのは憚られる。出来れば、叩かれるもまた然りなプロフェッショナルのテイクに対して自由にコメントしたいものだ。

という感じなので、travelingがうまくいったら、桜流しに戻ります。


『仕事にも精が出る 金曜の午後』

やっと歌詞のあるパートに入ろう。やれやれだぜ。

まずは基本。ブレスとエアについてみてみよう。

『Φしぃごとーにもせいがでるっhφ きぃん〜よ・うぉ・の・ご・ごΦ』

Φは短いブレス、φは長いブレスである。面白いのは、イントロで「ta-ta-lu♪」が途切れて十分に時間がある筈の歌い出しの場面でヒカルは短く息継ぎをし、時間間隔の薄い「出る」と「金曜」の間では比較的ゆっくりと息継ぎをしている点だ。特に後者ではしっかりとエアも入れてきている事も慮ると、随分にせわしない。

別にヒカルに限った事ではないが、特にヒカルはこういったケースが顕著である。つまり、ブレスを「歌う為の空気を取り入れる」という目的のみならず、歌の中の重要な要素として、即ち音の一部、歌の一部として捉えているのだ。その為、前後に時間があろうとなかろうと、ブレスにかける時間の短さ・長さは悉く調整されている。いつか特集するかもしれないが、そこらへんのこだわりはLIVEバージョンを聴いてもみてとる事が出来る。

当然、「Φしぃごと」のΦも「出るhφ」のφもこの歌のリズムに則った長さとタイミングのブレスとなっている。同じパートの槇原敬之のブレスと較べるとわかりやすい。彼のブレスこそ教科書通り。直前の長音を短く伸ばして短く息継ぎをし、歌の流れが途切れないように配慮している。ブレスはなるべく歌の中で目立たないように誂えられ、どれも判を押したように同じだ。

ヒカルのブレスは歌の中でかなり大胆にフィーチャーされている。最初の「Φしぃごと」の短いブレスΦは、やや突っ込み気味に食い込んでくるリズムを形成し、その後の「φきぃんーよ・」の一節のブレスφは、ここのメロディーに対してタメを作る役割を果たしている。

つまり、ヒカルは「仕事にも精が出る 金曜の午後」のワンフレーズだけで、リズムに先行しながら曲を歌でひっぱり次の瞬間にはリズムに後からついていっている。このほんの数秒で作り出すウネリが、ブリッジ以降への伏線として効いてくるのだが、その為にはこのブレスの使い分けが不可欠なのだった。そこらへんも追々みていくことにしよう。