無意識日記々

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ツッコミ不在の暴走トレイン!?

ラジオ番組を制作するにあたって「ブースの向こう側の人」が居ないシチュエーションというのは恐怖である。笑いをとりにいっても誰も笑ってくれない。1人喋りの番組でも「笑い屋」とでもいうべき人が居て笑いどころを的確に教えてくれる。その有無は日本人にとって大きい。

嘗てヒカルが、アメリカと日本のコメディアン/コメディエンヌの違いを端的に答えていた。「1人か2人か」。要は「人数の違い」である。アメリカはスタンドアップコメディアンといって、早い話がピン芸人が主流だと。日本の場合は漫才をメインに2人組というパターンがとても多い。要は、面白い事を言った時にツッコミを入れてくれる人が日本の場合居るのだ。

伝統的に、テレビの編集でもこの「ツッコミ文化」が活かされている。VTR紹介番組でも必ずといっていいほどワイプでスタジオのタレントさんのアップが抜かれ、タイミングよく笑ったり泣いたりしてくれる。これは、「ポイントはここですよ」と親切に教えてくれるという点ではツッコミと変わらない。更に高度なのになると「字幕でVTRにツッコむ」という手段まで存在する。源流は「探偵ナイトスクープ」なのだが…


…って余計な話が長くなった。要は日本人たるもの、1人喋りでもツッコんで欲しいものなのだ。トレボヘでもヒカルは1人喋りだったが、「ブースの向こう側」に必ず誰か居た。これが今回居ないというのだから、再度言う、恐ろしい。

大丈夫なのだろうか。たった1人で居ると、例えば「2×3=8」みたいなあからさまな間違いでも気が付かない事がある。いやホント。そこまで行かなくても、例えばアーティスト名や作品名をずっと間違えて連呼し続けてるとかかなり恥ずかしいぞ。とちむすめ頬張りながら仲居クンとレッドオクトーバー捜し始めたら目も当てられないよ。そういうチェックは大丈夫なのか。

他にも、日本の芸能ネタに疎くなってたりしないか、とかどうでもいい心配をしてみたくなったりもする。笑う犬の思い出話をしてオセロさんには世話になったな的な事喋り始めたらこっちが「ちゃ、ちゃんと着地するのか!?」と狼狽え始めそうだわ。解散しちゃったのね〜。ミラクルさんもまた考えないとな。何が変わるって訳でもないんだろうが。

完パケ納品完了、というのは受け取り側のチェックが終わった、という意味でとっておいていいのだろうな。幾ら何でも誰も中身を聴かずに火曜日の22時にいきなり流し始める訳でもないだろうから、大丈夫だとは思うんだが。

しかし、この手法のメリットは、ラジオを聴いているとまるでヒカルと電話しているような錯覚を生む位に「1対1」の感覚が楽しめる所だ。これは筆舌に尽くし難い。当初はハッシュタグを利用して全国のハラカラ達と一緒に聴いて盛り上がろうかと思っていたが、逆にラジオ以外の総てのインプットをシャットアウトしてその"2人っきりシチュエーション"を堪能するのも悪くないな…と思い始めた。いやでも番組でお便りを読まれた人の名前が知己ならばすぐさまお祝いツイートをしたくなるだろうから、まるきりシャットアウトってのも、違うのかもなー。火曜日まであれやこれやプリズマイリヤと考えておく事にしよう。