無意識日記々

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鳴らない音楽の色を見てみようか

音楽性の変化、という面では「生楽器が増えた」というのはある。サンプルが少なすぎてどうしようもないが、桜流しは生楽器主体だし、SCv2でも嵐の女神はフォーク、愛のアンセムはジャズ、キャンクリはピアノバラードだ。SML(NAD)はロックという事でこれを生楽器と言うかはわからないが、少なくとも打ち込み主体ではない。GBHだけは伝統的な、という程過去の楽曲に似ている訳ではないが打ち込み主体のダンサブルなトラックである。尤も、生コーラスと生ストリングスが鍵っなってはいるんだが。

その前の作品、This Is The Oneではトラックメイキングを外注していたので、この流れはもしかしたら5年単位くらいでのものなのかもしれない。ヒカルの音楽は徐々に生演奏主体に移行しているのだろうか。

にしても、先程述べた通りサンプルが少なすぎる。これではなかなか展望が読めない。そんな中、熊泡での選曲は何か参考になる事があるかもしれない。

冒頭を飾ったAtoms For Peaceの曲は、コメントにもあったようにフリー(人の名前ね)のベースラインが鍵となっている。こういう曲は、ヒカルの音楽に影響が反映されるのか。

ヒカルの曲は、まず打ち込みパーカッションの構図から入る為、ベースラインは二次的な役割を果たす事が多い。というか大抵よく聞こえない。フリーのように縦横無尽に曲の中で動き回るベースラインはなかなか出て来ない。どちらかといえば生バンドの発想に近い。ただ、Atomsの曲はかなりシステマティックに楽曲が構築されているので、ヒカルが惹かれたのはそういう面の方かもしれない。同じひとつの楽曲であっても、どこをみているかで受ける影響は変わる。なかなか読めないもんだ。

ただ、愛のアンセムは(もう二年半前の曲だが)かなり布石になるかもしれない。ああいった編曲は、カバーだったからこそ冒険できた、という捉え方も出来る。自作曲ではないから、何か冒険せざるを得なかった、ともいえる。ジャズのスタンダードをトラックに用いていた訳だが、そのムードは熊泡全体の色調にもなかなか符合する。そこらへんから紐解いていけば2013年現在のヒカルの傾向というものもみえてくるかもしれない。新曲が出る予定も、ないんだけれど。