無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Qがなくても急がない

曲のクオリティというのは、ある程度の高さまで来るとなかなか上がり難い。大抵は、そこまで到達すれば後は下り坂。緩いか急かの違いしかない。

今のところヒカルの曲のクオリティは下り坂に入った感じはない。桜流しに関していえば、First Loveやtravelingのようなわかりやすいエンターテインメント性は薄いが、その代わりサウンドの深みと広がり、言葉の重さは過去最高だろう。要は、Be My LastやPassionの時と同じで、今回はこういうコンセプトだったというだけの話。そして、その決まった方向性を突き詰めるという点に関してはそろそろ"年の功"とでも言いたくなるくらいに熟達してきている。うむ、聴いていて楽しい。曲調の重苦しさに対する感銘とは別のレベルで、そう感じる。

Show Me Loveで、『山は登ったら下りるもの』と歌ってたもんだから、てっきり暫くは実験性が先行して楽曲の出来はイマイチの時期が続くのかなと思っていたが、そんな事はなかったぜ。それも、まだ本格復帰前である。またもこう言おう、かっこわらいつきで。「気合い入り過ぎ(笑)。」

EVAQ円盤が届いたり届かなかったりで、あらためてエンディングに流れる桜流しの意味、つまり如何にEVAQのテーマ性にマッチしているか、という点に関して再検証する機会を皆得たり得なかったりであるかと思う。私はといえば、EVAQは観る前に終わっていた、というか桜流しを先に聴いてしまっていたので、そっちのインパクトが強すぎて、多分改めて観ても細部の拘りににやつく位の楽しみ方しかできなかろうなのだが。神が細部に宿るのなら、それこそが本番かもしれないが。

Beautiful Worldの時はそんな事はなかった。映画は映画として楽しんで、歌はなんとも見事に期待に応えたというか期待以上だったというか。そういう風だったのだが、こと桜流しについては、観てもいない映画の存在感を霞ませる程のインパクトがあった。後世の人がどう感じるかは知らないが、私にとってはCasshern誰かの願いが叶うころの関係性に近いものを感じる。姐さん、スケールデカくなりすぎでござるよ。

なので、実はEVAQの円盤が出たというのにまだ私は気持ちが盛り上がっていない。案外、下り坂というか一旦登った山を下りた状態のヒカルが曲を書いていても似合っていたのかもしれないな、なんて事は思う。

しかし、EVAシリーズの神通力を私は信じているので、桜流しに励まされて、最終的には見事に結実してくれる事だろう。あたしゃ週末にBlu-rayを取りに行く予定なので(悠長)、もし円盤に関する考察が出てくるとすれば来週以降になる。

一応まとめておくと、EVAQは素晴らしい作品である。ただ、桜流しが常軌を逸しているだけである。ライバルはベートーベンか?と昔思いついて没にしたフレーズをここに落としておいて、週末を楽しみにしておく事にしよう。いやっはっは。げほっ、げほ。