このぞっとするような何かが闇に潜んでいつ襲いかかってくるかわからない感覚がいつまで続くのか。まだ暫く続くのか。しからば、暫しの間出来るだけ慣れるようにしよう。
光にとって母は最愛であり、尊崇であり、そして守るべき脆弱であった。母と娘としての、深い深い、我々には欠片も知る由ない愛情と関係性を持ち、同じ職業を選び、世界広しといえど似た足跡をその職業で辿った人はその人以外にないという希有な存在であり、即ち大人として人生の師でもあり先駆者でもあり、こどもとして憧れ、出来れば甘えたくもあった対象であった。また、同じ道を他に知る者が居ない同士として、その孤独を共鳴し合える唯一無二の同志、親友の側面もあった。そして、その特別を支える繊細な感性は、その脆さと弱さ故、幼き日の光に、「この人を守らねば」とまで思わせた。その大切は、何にも代え難いものであった。
光は人間活動に入る直前、最後の演奏会でこう歌った。『大切な人を大切にするそれだけでいい』。こう語った。『私の願いは"みんな自分を大切に"』。切実だった。
今。光は最も大きな大切を失った。願いが、いちばん届いて欲しい人に届かなかった。ささやかな、だからこそ大きな大きな、強い願いだった。でも、届かなかった。
どれほどの大きさを失ったのか。繰り返そう、彼女は、純子さんは光にとって愛する母親であり、尊敬する師匠であり、憧れの先輩であり、会いたくても会えない、恋い焦がれる想い人であり、世の中でただ一人、自分の事をわかってくれるかもしれない唯一無二の親友であり同志であり、守るべきか弱い人でもあった。母と師と先輩と想い人と親友と恋人をいっぺんに、いっぺんに光は失った。もう、二度と誰も還ってこない。
まだまだたくさんの家族の中で誰かひとりを失った悲しさとはまた異質な、寧ろ、家族をまるごと失って1人取り残されたような絶望と悲嘆の方が、今の光の心境により近い。
確かに、生きてりゃ得るもんばっかりだ。しかし、だから、生きていなければその限りではない。残酷。しかし悲しい哉現実である。
もう何処にも戻れない孤独。
地を削られた闇の虚空から、人はどうやって1人で立ち上がり、歩き始めるか。まだ私にはわからない。ただ、ただひたすら時が流れ時が満ち時が来るのを生きて生きて生きて待つのみである。